田臥選手よりも早くNBAに挑戦した日本人を知っていますか?

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こんばんは、原田です。

 

渡邊雄太選手がNBAのプレシーズンで大活躍しました。
田臥選手や富樫選手などの挑戦もあり、日本人がNBAの公式アカウントで取り上げられる日が来るとは…

そして、あの場面でクラッチシュートを入れて、延長戦でもチームを勝利に導く活躍をする日が来るとは…

まさに感無量という日本のバスケットマンも多いはずです。

本当に物凄いことですね!

 

今年は日本代表の歴史的勝利もあり、

日本のバスケットボールを世界に発信していく

ということが一つのテーマなんじゃないかなと思っています。

 

それで、今日は紹介したい人が一人います。

 

 

おそらく、「NBAに挑戦した日本人」と聞いたら、

田臥勇太選手と富樫勇樹選手を思い浮かべるはずです。

そして、渡邊雄太選手と八村塁選手も。

 

でも、実は、

田臥選手よりも早くアメリカに渡り、

田臥選手よりも早くNBAに挑戦していた日本人がいるのです。

 

 

森下雄一郎さん。

 

名前を聞いたことはありますか?

 

 

聞いたことがない人の方が多いと思います。

 

ただ、僕がNBAを見始めた2001年頃に、

既にアメリカに単独でNBA挑戦のために渡り、

ストリートやマイナーリーグでバスケをしていたのが森下雄一郎さんでした。

 

当時の月バスでは最後のページに必ず森下さんの活動記録が載っていました。

僕のバスケ人生で、親や兄弟以外で初めて影響を受けたのが森下さんの生き方でした。

 

森下雄一郎さんは、いわゆる「雑草」です。

つまり、田臥選手のように全国大会で活躍をして有名になったとか、

アメリカに渡るときにメディアに取り上げられてとか、そういったことは一切なく、

日本での実績はゼロ、アメリカに渡った時もメディアに取り上げられることもない。

アメリカに渡ったのも誰かからの推薦があったわけでも伝手があったわけでもなんでもなく、

ただただ、「NBAに行きたいから」という理由だけで、貯めた軍資金でプランもなくアメリカに渡りました。

 

 

色々と凄いエピソードが沢山あるのですが、

 

NBAを見始めたのは高校のバスケを引退した後。

高校バスケを引退した後、

大学でバスケをしたかったけどオファーがなく、

大学受験を受けるも三つとも受からずに大学進学を諦める。

 

そんな時にたまたま知ったのがNBA。

 

そして、それを見た後すぐに、

「この舞台でプレーしたい!」

と思い、即行動に移す。

 

この行動力が森下さんの一番凄いところ。

まぁそれは色々と知っていけばわかるはずです。

 

まず、NBAに行きたいと思ったら即行動。

 

当時の月バスの編集部に電話をして、

「NBAに行きたいんですけど、どうやったら行けますか?」

と聞いたそうです。

 

もちろん、月バス編集部の反応は「・・・」。

 

この当時を振り返って森下さんも笑っています。

「日本人がアメリカでバスケをするなんてことは考えられない時代に、

いきなり『NBAに行くにはどうしたらいいですか?』なんて聞かれたらそれは困りますよね(笑)」

と。

 

そんな無謀なことを即行動に移すのが森下雄一郎という人間です。

 

 

当時の日本のバスケットボール界では、

アメリカにバスケで挑戦するという人はいませんでした。

 

そこで、日本人として初めて、

アメリカにバスケでプロになるために渡米して、

ストリートコートでバスケをしているところをたまたまスカウトされて、

アメリカの短大でバスケをするチャンスを得ることができたのが森下雄一郎さんです。

 

伝手も何もない状態で、ただ気持ちだけをもって渡米。

そして、そこでのプレーがたまたま認められて大学に進学。

 

その後、大学ではアシスト王などを獲得するも、

コーチの解雇などもあり大学バスケを辞めることに。

 

でも、諦めることなく、

日本に帰ってからは支援金を募り、

再度、アメリカに渡ってトライアウトを受ける。

 

そして、アメリカでプロになる。

 

 

この頃の様子がちょうど月バスに取り上げられていたのです。

僕がバスケを始めた頃、NBAに夢中になっているときに、

毎月買って読んでいた月バスの最後に、森下雄一郎さんの活動記録が載っていた…ということです。

 

それに僕は凄く影響を受けました。

 

当時は、日本人がアメリカに一人で渡って、

周りからは無理だといわれ続けていたであろう

「NBA」という世界を本気で目指して挑戦していることの凄さはわからずにいましたが、

今振り返ると、本当に凄い勇気と行動力のある人だなと思います。

 

そんな挑戦を知るのを毎月の楽しみにしていました。

この頃の月バスを買っていた人は、森下さんのコラム覚えてますかね?

もしかしたら、NBAを見るのに精一杯で見られていなかったかもしれませんね。

 

それくらい森下さんの活動は表に出ることは少なかったのです。

 

 

なぜなら、当時のアメリカ人からしたら、

「え?日本人がバスケ?日本にバスケットボールがあるのかい?」

というレベルだったからです。

 

そんな環境の中、

単独でアメリカに渡って、

無謀と周りから言われてる「NBA」に

本気で挑戦することがどれほど勇気がいることか。

 

想像してもしきれませんね。

 

森下さんのことは、賛否両論が分かれると思います。

田臥選手とかなら、たぶん、嫌いな人ってあまりいないと思いますが、

森下さんは日本での実績も何もないのに本気でNBAに挑戦していたからこそ、

中には「何を馬鹿なことを言ってるんだ」っていう風に見ていた人もいたはずです。

というか、そういう声しかなかったと森下さんは言っていました。

実際、当時では考えられないことをしていたので当然なんだとは思います。

 

まぁ田臥選手の挑戦にもそういう風に批判的に言う人もいたでしょうが、

そういう人たちのおかげで、逆にエネルギーをもらえたりもするんでしょうけどね。

 

 

その後は、NBAの下部組織、

NBADリーグ(現NBAGリーグ)に日本人として初めてドラフトされたり、

ABAというNBADリーグよりも下の組織で数年間プレーしたりと、

様々なところでプレーしてNBAという夢を追いかけ続けていました。

 

そして、「日本人初のNBA選手」が誕生。

 

それは森下雄一郎さんではなくて、

田臥勇太選手でした。

 

二人はABAのコートで対戦したこともありますが、

当時、森下さんからしたら、不思議な光景だったはず。

自分が渡米して七年目にして初めて同じコートに日本人がいる。

 

田臥選手がアメリカに渡る前から、

森下さんは何一つ道がないところを進み、

まさに、自分が進んだ分だけ道が作られていき、

その道の途中で、同じ日本人と出会ったというわけです。

 

その後は、ストリートバスケの最高峰「AND1 Mixtape Tour」にアジア人として初めて参戦して、

数年間、世界を飛び回りながらストリートバスケの世界で活動をして、バスケから引退しました。

 

 

そんな森下さんは今何をしているのか?

 

「NBAに行けなかったらバスケを辞める」

と最初から決意して渡米していたため、

バスケットボールからは引退しています。

 

 

今は、子供たちの教育を変えるための活動とか、

志教育、地方を活性化させる活動などをしています。

 

 

森下さんは、普通じゃ考えられないような行動力があります。

 

全ての行動に人生をかけているかのような、

そんな情熱と行動力が森下さんの代名詞です。

 

何も実績がない状態でも関係なく、

周りから無理だと笑われても気にせず、

ただ、自分の気持ちに正直に生きている。

 

そんな生き方に共感した人が

森下さんの活動を応援して夢を応援したからこそ、

大学に進学し、プロになり、AND1の一員になり、

今の教育的な活動に繋がってきているのだと思います。

 

そんな僕も森下さんの生き方に影響を受けた一人です。

 

 

森下さんの動画、是非ご覧ください。

色んなエネルギーをもらえるはずです!!

 

 

 

PS.

森下雄一郎さんの公式ホームページ

森下雄一郎さんの自伝『生涯野良』

この自伝がめちゃくちゃお勧めです。

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