武という世界を学んでから、
バスケはより一層楽しくなりました。
今までは練習量とバスケの上手さが比例すると思っていましたが、
「動きの質」というものは、体力や筋力とは違い、一度身に着けたら衰えることがないので、
自分が毎日何か一つでも変化させていけば、練習量が減っても、歳をとっても技術が上達します。
それを毎日、この文章を書いている今も実感しているところです。
そんな風に、バスケをやってきたある日、
これまたバスケ人生を変える出来事が起きました。
そんな出来事ばかり起きてる気がしますが、
ただ何となく時間が過ぎていく人生よりも、
大きく人生の道を変えるような出来事とか出会いがある人生の方が楽しいなぁと思ったり。
まぁ毎日そんな連続だったら精神的に疲れてしまうかもしれませんけどね(笑)
でも、それくらい、
毎日何か一つでも変化があるような
そんな人生が良いなと思ってます。
・・・それで、
そんなバスケ人生を変えたきっかけというのは、
母校の大学の後輩からコーチの依頼をされたことです。
僕の母校の大学は、たぶん、全国的に見てもなかなかない環境で部活をしています。
キャンパスが四つに分かれていて、しかも、そのキャンパスとキャンパスの距離もかなり離れているので、
部活の全員が集まって練習をするのは土日のみで、平日は各地区で練習をしています。
土日は片道1時間半かけて、部員の車に乗り合わせて一つの場所で練習をしています。
土曜日の夜にバイトがあるから、と、
19時に練習が終わったら、また一時間半かけて
自分の家があるところに戻るなんてこともよくやっていました。
平日は、一人とか二人で練習をすることも珍しくないという、
現役の頃は普通だと感じるようになるんですが、冷静に考えるとなかなかです。
そんな環境の中、自分も部活をやっていたので、
後輩たちの大変さはOBとしてよくわかっていました。
この環境でもバスケがしたいと思う学生がいて、
この環境だからこそ、ただ練習の強度を上げているだけでは限界があるのもわかっていたし、
この環境だからこそ、自分が経験してきたことで選手たちのバスケを変えていけると思ったので、
コーチを引き受けることにしました。
その頃の僕は、ただ自分の技術を伸ばすことだけを考えてバスケをしていただけで、
「誰かにバスケを教える」というのは、初めての体験でした。
情報発信で発信していたことを
実際に、目の前にいる学生に伝えることは、
ブログで発信するのとは全く違うものでした。
上手くいかないことも含め、いろいろなことが学べます。
ただ、NBA選手のオフボールの凄さを説明しても、それだけ上手くいくかというとそうではないし、
自分が学生時代に成功したことを教えたとしても、目の前の選手たちが上手くいくわけでもありません。
今までの自分は、ネットで完結することが多かったですが、
目の前にいる人に対して実際に教えるという体験をすることで、
実体験を伴った生きた学びを得られるようになりました。
なので、今、僕が発信していることの全ては、
机上の空論ではなくて、現実の話です。当然ですが。
そして、指導者つながりで、あるバスケットマンと出会います。
それが今現在、「賢者籠球」というコミュニティを一緒に運営している「鶴」です。
鶴は僕が大学生の時に対戦した相手で選手兼監督をしていたバスケットマンなんですが、
当時、鶴たちの大学がやっていたバスケは、今まで体験したことがない不思議な雰囲気のあるチームでした。
敵なのに思わず拍手を送りたくなるような、そんなバスケだったんです。
そのバスケを作っていたのが
「Princeton Offense」というものでした。
Princeton Offenseというのは、
アメリカのプリンストン大学が作ったオフェンスです。
プリンストン大学は、リクルートをしてNBAに行くようなアスリートを集める大学ではなく、いわゆる普通の進学校なのですが、
1996年のNCAAトーナメント(日本でいう全国大会)の一回戦で、強豪のUCLA大学を破ったことで世界的に有名になりました。
当時、プリンストン大学を指揮していて、
「Princeton Offense」を作り上げたのが
ヘッドコーチのPete Carril氏でした。
その当時のプリンストン大学がやっていたオフェンスは、「スカウティングできないオフェンス」と言われていました。
それほど複雑な動きが連続的につながっていて、ビデオを何度見ても、システムを理解することはできなかったと言われています。
そして、そのオフェンスの中には、
・身体能力や体格で勝る相手と対等に戦えるようになる可能性
が含まれていたのです。
その一つが「バックカット」で、
Princeton Offenseの代名詞とも言える技術です。
バックカットは小学生でも習う技術ですよね。
Princeton Offenseはスカウティングできないほど複雑だと言われるオフェンスですが、
その中心になっていたのは、小学生でも、僕らでもできる「バスケの基礎」だったのです。
そんなPrinceton Offenseを鶴たちはやっていました。
そして、僕らの大学はディナイを武器として戦っていたのですが、
鶴たちのチームの華麗なバックカットや連携に、ディナイができず、
身長でも体格でも勝っていた当時の僕らのチームは、鶴たちのチームに一度も勝てませんでした。
何かをやってるんだけど何をしているのかわからない。
そんな不思議なオフェンスの謎を
大学を卒業した後に、鶴から教わりました。
今、賢者籠球というコミュニティでは、
Princeton Offense、Princeton Offenseを超えるオフェンス、戦術、教育について、
参加者の皆さんと一緒に深めています。
賢者籠球は今は第二章に入っていて、現在進行形で運営中です。
(再募集など、賢者籠球の詳細については今後の発信をご覧ください。)
そんな賢者籠球が生まれてから、
僕のバスケの価値観はまた大きく変わり、
「チームスポーツとはどういうものなのか?」
「バスケットボールとはどういうものなのか?」
ということを、より深く考えるようになりました。
今でも賢者籠球の鶴からバスケを学ばせてもらっています。
そして、武の世界を教えてくれた慎さんとも、
よく1対1をしているし、今もやり取りをしていて、
今は鶴と慎さんの三人で情報発信の活動をしています。
慎さんは武学籠球、鶴は賢者籠球。
二人とも、自分らしい発信をしていて、
僕はその二人から学ばせてもらっている立場です。
じゃあ、自分は何を発信していくのか?
そう考えたとき、
「慎さんと鶴から直接学んでいる」
というのが僕の特徴であると思うし、
僕が考えているバスケットボール、
僕が学んでいること、
僕が発信したいこと、
・・・
そういったものを出していけば、
自然と、自分だけの発信になるのかなと思います。
現在はそれらを全てまとめて
「大和籠球」というバスケットボールの型
を創る活動をしています。
プリンストンも武学も、全てを統合したもの。
世界に通じるバスケットボールの雛形を創るという活動です。
今後の発信の中で、
大和籠球についても共有していくので、
ぜひ一緒により面白いバスケを創っていきましょう。
・・・
ここまでが僕のバスケ人生をまとめた話になります。
僕は人生を通して、
つまりは、死ぬまでに、
大和籠球というバスケットボールのモデルを体系化して後世に残すこと
を目指しています。
それが一つの教科書として後世に残り、
バスケットボールの駆け引き、チームプレーの楽しさを知るキッカケになり、
武学(武学籠球)とプリンストン(バックカット)で
「賢者は強者に優る」を体現するチームを増やしたい。
そういう想いで活動しています。
僕は、たまたま始めた情報発信で、
これだけ沢山の方と関われるようになったのですから、
僕には、この情報発信を続けて、面白いバスケを広めていく役目があると思っています。
僕は全国大会に出場したこともなければ、プロになったわけでもありません。
今も知らないことだらけだし、
バスケの技術も未熟なところばかりです。
だから、僕は毎日成長していきます。
過去の栄光なんてものがないからこそ、
今、自分が体験していることを発信していきます。
発信している僕自身がまだまだだからこそ、
皆さんと一緒に学び合う場を作りたいと思います。
そうしたら、みんなでバスケを面白くしていけますよね。
NBA選手は凄い。
僕のバスケや人生が変わったのは、
NBA選手の凄さを知ったことでした。
たったワンプレーで僕のバスケ人生は変わりました。
そういった小さなきっかけが日常の中には沢山あるはずで、
このブログがそのきっかけの一つになれたら、とても嬉しいです。
この情報発信に辿り着けて、今も発信し続けられているのは、
これまでの人生の全ての時間、関わってくれた人たちのおかげです。
面白いバスケを更に面白くできるように、
僕も学び続けて、発信し続けたいと思います。
長い物語を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします!