【第3話】椎間板ヘルニアとスパーズの「美」

【第1話】世界で一つだけのバスケゴール
【第2話】「キツイ練習をしないと勝てない」
【第3話】椎間板ヘルニアとスパーズの「美」←今ココ
【第4話】プロの世界と変人師匠
【最終話】NBAで凄いのはダンクだけ!?

 

 

大学一年生の冬。

 

高校で燃え尽きたと思っていましたが、

やっぱり、バスケは好きで、

相変わらずNBAも見続けていたし、

バスケ以外にコレと言ってやりたいことがあったわけでもなかったので、

大学でも部活に入ることにしました。

 

いざ、部活に入れば、

新しい環境、新しいチームメイトがいて、

ゼロからのスタートだったので、それが新鮮で

バスケ熱が復活しました。

 

なので、高校と変わらず、

自主練をしまくる生活が始まりました。

 

この頃も目標は、

NBA選手のように上手くなること

で、変わらず理想を追いかけていました。

 

 

 

そんな、ある日。

 

 

高校生と同じように、

「スクワットをやって、ディフェンスも、シュートも安定させるぞ!」

と意気込んで筋トレをしていたら、

重りを上げる時に、腰を痛めてしまいました。

 

高校生の頃から、あれだけやっていたのに、

ここにきて、初めてスクワットで怪我をしてしまいました。

 

フォームが悪いのもあったかもですが、

高校生の頃は一度もそんなことならなかったので、

原因はわからないですが、この頃の僕は、

「とにかく、重いのを上げられるようになった方がバスケが上手くなる」

と思っていたので、かなり無理をしていたように思います。

 

 

病名は、椎間板ヘルニア。

 

名前は聞いたことがあったけど、

授業中に足が痺れることもあるほどで、

「腰が痛くなると、何もかもやる気がなくなる」

って腰痛持ちの友達が言っていた感覚がよくわかりました。

 

プレーしようとしても、常に腰が気になって、

「100%の力」でプレーすることなんて不可能でした。

 

身体的にも、気持ち的にも。

 

文字通り、「全力」でしかバスケをしてきたことがなかった僕にとって、

全力を出せないバスケは、もはや、上手くなれると思えず、やる意味がわからなくなるほど、

「もうバスケを辞めようかな」

と、この時も思いました。

 

高校の引退試合の後と同じ感覚になりました。

 

 

「ああ、もう全力でバスケができないのかぁ。つまらないなぁ」

と思いつつ、家でゴロゴロする時間が増えました。

 

でも、かといって、

バスケはやろうと思えばできるし、

リハビリをがんばれば元に戻るはずだと信じて、

部活中はずっと体幹トレーニングとリハビリをしていました。

 

 

で、家に帰ったら相変わらずNBA観戦。

 

そこは何があっても、

変わらないところだなと思います。

 

それだけNBAが最高ってことですね。

 

 

 

そして、この時、

バスケ人生の転機

が訪れます。

 

それは、人生の転機とイコールでした。

 

 

 

その頃、NBAを支配していたのは、

ピアース、KG、ロンド、レイアレンがいる

ボストン・セルティックスでした。

 

スーパースターが集まっても、

エゴを抑えて、お互いにぶつかることなく、

チームプレーに徹していた素晴らしいチーム。

 

 

 

そんなセルティックスのバスケに魅了されて、

僕はひたすら、Youtubeでセルティックスの試合を見ていました。

 

僕はそれまでは、ずっと、

NBA選手の1対1、クロスオーバーが大好きで、

ウェイドとかアイバーソンの1対1だけを見ていたので、

この時、初めて「一つのチームを応援する」ということをしたのですが、

 

この時、たまたま、

 

今まで全く気づかなかった

「NBA選手のある動き」

に気づいたのです。

 

 

それが「ボールを持っていない時の合わせ」でした。

 

 

ボールを持っていない二人の選手が
的確に動いているからフリーが生まれています。

 

たった数歩の動きですが、
二人のうち、どちらかが違う動きをしていたら、
この場面でフリーは生まれていなかったはずです。

 

それくらい絶妙な動きです。

 

 

僕は、オフボールの動きに気付いた場面を何度も繰り返し見ました。

中学生の頃、アイバーソンやウェイドのクロスオーバーを何度も繰り返し見たのと同じように、

ボールを持っていない時のNBA選手を何度も見返しました。

 

この時、僕はバスケ人生で初めて、

「NBA選手がボールを持っていない時に、フリーを作るために動いている」

ということに気付きました。

 

何百時間もNBAを見ていたのに、

このことに気付くのに10年かかったのです。

 

 

何度も同じプレーを見返して、

 

「なんでこうやって動いてるんだろう。

・・・あ、ズレがここで生まれているから…

・・・ってことは、オフボールの時は自分のディフェンスを見て…

・・・ここでも2対1が生まれてるし、こっちでも2対1が生まれているし…」

と、自分なりの仮説を立てて検証を繰り返しました。

 

 

すると、どれだけNBA選手たちが

2対1の状況を作るために、

ボールを持っていない時にフリーを作るために、

全ての瞬間を考えながらプレーしているのかがわかったのです。

 

今思えば、NBA選手なので当然だし、

オフボールの動きが重要だということは、

ミニバスでも学ぶような基礎なのだとも思います。

 

ただ、僕はずっと気づけませんでした。

 

 

たった数歩の動きを変えるだけでフリーが作れる。

 

僕にとって、この事実は衝撃でした。

 

なぜなら、このオフボールの動きを知れば、

効率が上がり、簡単にフリーが作れるからです。

 

 

このことを知るのにかかるのは、10秒ですよね。

 

「ドライブが起きた時に、

ボールマンと2対1が生まれるように、

自分のディフェンスからフリーになれるように、

ボールマンからパスをもらえるように、

円を描くように動く」

 

 

ただ、これだけです。

 

本当にシンプルなことなのですが、

僕のバスケ人生を変えるのには十分でした。

 

 

「何千時間もシューティングをしてきたけど、オフボールで適切に動かないとフリーでは打てないんだ…」

「1対1が上手くなりたいと思って練習をしていたけど、オフボールでちょっと賢く動けば簡単にズレってできるんだ…」

「キツイ練習をすれば上手くなれる勝てると思ってディフェンス練習や走る練習を何千時間もやってきたけど、オフボールの動きを10秒でも学んでいたら、もっとバスケが上手くなれたし、もっとチームメイトと楽しいバスケができただろうな…」

「同じ映像を見たとしても、視点によって、こんなにも見える世界って変わるんだ」

 

これまでNBA選手の1対1しか見ていなかった自分が

どれだけ視野が狭かったのか、どれだけ大きな勘違いをしていたのか、

そのことを痛感させられた瞬間でした。

 

 

「NBA選手は1対1が上手いから戦術なんて必要ないんだ」

「NBA選手と自分たちは身体能力から何もかも違いすぎるから、真似することなんてできないんだ」

「1対1とか身体能力で強豪校には勝てないから、とにかく走って、ディフェンス練習をして、練習を厳しくするしかない」

 

NBAの見方も、

部活動の考え方も、

バスケの考え方も、

自分の生き方すらも変えるほど、

僕の価値観が崩れた瞬間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉では知っていました。

 

「勉強は大事だぞ」

「本は読みなさい」

「学び続けないといけないよ」

 

そういった言葉は、よく耳にしていました。

 

 

でも、初めてその意味が実感できたんです。

 

 

 

1分でも「学ぶこと」に時間を使えば、
その後の1万時間の質が変わってきます。

 

何も学ばずに闇雲に1万時間練習するのと、
「もっと良い方法はないか」と探りながら、

常に学びながら、1万時間練習するのとでは、
同じ時間バスケをしていたとしても、全く違った世界が見えるようになります。

 

 

高校生の頃も勉強はしていました。

バスケの本を買ったり、動画を見たり、

そういうことはよくやってはいたのですが、

 

でも、どこか、自分の中で

「これはこういうものなんだ」

という固定概念を作ってしまっていて、

自分のやっていることを「正しい」と思っていたのかもしれません。

 

 

自分の今に自信を持つことは大事だと思いますが、

 

それを固定してしまったら、

もっと良くなるきっかけが入ってくる隙間がなくなり、

自分の成長は止まってしまいます。

 

 

いつでも、自分に問いかけながら、

毎日学び続けて、毎日変化させていくこと。

 

NBA選手に憧れるのは良いことだけど、

「NBA」という一つの世界を固定させずに、

もっと広い視点で、様々な視点で見ることで

自分が見える世界を広げていくこと。

 

誰かと比べて挫折したり達成感を感じることも良いけど、

過去の自分と比べて、昨日と比べて、成長できたかを考えること。

 

 

僕は、大好きなNBAの見方が変わったことで、

バスケがもっと上手く、楽しめることがわかったし、

普段から「日々進化」をテーマに過ごすようになりました。

 

(地元でお世話になっている喫茶店より

 

 

それから、僕はNBAを見るたびに、

オフボールの動きがどうなっているのかだけに注目するようになりました。

それまでは、ボールを持った選手の1対1しか見てこなかったのですが、

今度は、ボールを持っていない選手のことだけを見るようになりました。

 

そうすると、一つの法則が見えてきて、

まずは、自分で意識しながらプレーしてみて、

チームメイト、一人ひとりに伝えていきました。

 

 

すると・・・

 

そこには、僕が高校で忘れかけていた
ミニバスの監督、中学の監督だった平林さんから教わった

「バスケの楽しさ」があったのです。

 

成長する楽しさ、駆け引きをする楽しさ。

 

ただ、がむしゃらに動き回ったり、

ただ、自分がボールをもらって1対1をすることを考えるだけだと、

いつまでも届かない楽しさがそこにはありました。

 

僕は高校生の頃、「早く練習がしたいな!」とワクワクすることはなかったし、

プレーをしながら、「バスケって楽しいな!」と思える瞬間はありませんでした。

 

 

でも、オフボールの動きを学んでから、

ボールを持っていてもいなくても、全ての瞬間で駆け引きがあること、

チームメイト5人が連動して、一つのフリーを作ることが

とにかく楽しくて、バスケが本当に楽しくなりました。

 

それは、チームメイトたちもみんな感じることでした。

 

チームメイトたちの多くも、僕と同じように、

高校時代は強豪校に勝つために、とにかく走り込みをしてキツイ練習をして、

ハーフコートのオフェンスはフリーで1対1をして合わせるというバスケをしていたので、

「オフボールの合わせ方」を大学生になって初めて学んだという人ばかりでした。

 

みんな口を揃えて言っていたのは、

「別の競技をしているような感じがする」

「今までのバスケって、なんだったんだろう?」

ということです。

 

それほど、バスケの世界が変わったんです。

 

 

これが当時のバスケです。

(※今、僕らの一年間のハイライトを作っている最中です)

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僕らが取り入れていたのは、スパーズのMotion Offenseです。

 

 

当時のNBAはレブロンがヒートに移籍をして、

ボッシュとウェイドと共に、BIG3を形成した時代でした。

 

誰もがヒートの優勝を予想していた中、

流れるようなスクリーンプレーとパス回し、

アンセルフィッシュなチームバスケットボールで

ヒートを破ったのが、ポポビッチが指揮するスパーズでした。

 

当時のスパーズのバスケは、

「バスケ史上、最も美しいバスケットボール」

と言われるほど、誰が見ても拍手を送りたくなるような

素晴らしいチームプレーをしていました。

 

もちろん、「美しい」とか、そういう言葉は定義する人によって変わるし、

1対1を中心にオフェンスを組み立てる、身体能力を活かして得点を取るというのも、バスケットボールの一つであり、

パスを回すことだけが「チームプレー」ではありません。

 

ただ、この時のスパーズには、

誰もが「美しい」と感じるものがありました。

敵ですら、拍手を送りたくなるような。

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中学生の頃、僕はスパーズのバスケが嫌いでした。

 

「ダンカンって、豪快なダンクとかしないから面白くないよなぁ」

「スパーズのディフェンスが良いのはわかるけど、スーパープレーとかないから地味でつまらないよなぁ」

と思っていました。

 

スパーズが二年連続でファイナルに行った年なんて、

「えー、スパーズかぁ。つまらないから見なくていいや」

と、大好きなファイナルなのに、ほとんど見ていません。

 

ジノビリが無双状態だったファイナルです。

 

 

そんなスパーズに、僕は22歳にして初めて魅了されました。

 

NBAを見始めた時から「つまらない」と思っていたスパーズのバスケを

まさか大学生になって大好きになって、まさか自分がスパーズのバスケを真似するなんて、

中学生の頃の僕が見たら、「お前どうした?」って感じでしょうね。

 

 

スパーズが変わったのではなく、

僕が、僕の視点が変わっただけです。

 

何をするか、よりも、

「どういう視点で見るか」

の方が遥かに大切ですね。

 

 

そして、僕らのチームはスパーズのシステム(Motion Offense)を真似して、

NBA選手のオフボールの動き(スペーシングやスクリーンの使い方)を真似して、

まるで高校時代とは違う競技をしているかのようなバスケの楽しさをみんなが感じながら、

日々成長して、試行錯誤して、チームとしても強くなりました。

 

全国大会にはあと一歩で届かなかったですが、

 

身長も体格も練習量も実績も、

全てにおいて負けていて、30点差で負けていたチームに勝てるようになったり、

一人ひとりが心からバスケを楽しめて、

「このバスケを、もっと多くの人に見てもらいたい」

といった、今までにない感情も生まれていました。

 

とにかく、バスケが楽しくなり、上手くなり、

チームの仲も良くなり、チームは強くなりました。

 

 

 

最後の引退試合も、負けてしまいましたが、

チームメイトのみんなが納得する一年間で、

「勝負には負けたけど、自分たちのバスケは負けてない」

という、とても不思議な感覚がありました。

 

ただの良いわけだと言われても仕方がない言葉ですし、

なんとなく、漫画に出てくるセリフのような言葉に聞こえるかもしれません。

 

でも、本気でそう思えるくらい、

今までの自分たちがやったことないバスケをやれて、

毎日試行錯誤して成長していく楽しさをみんなで共有できたことは、

何にも代えられない大きな財産になりました。

 

 

もちろん、高校時代のバスケも僕にとっては大きな財産です。

中学もミニバスも、全て。

 

高校時代、僕はとにかく厳しく練習をして、

ディフェンス練習、走り込み、シューティング、筋トレと、

やれるだけの努力はやりました。

 

それだけやりこんだから得られるものもありました。

チームメイトたちとの時間は今でも忘れられない思い出だし、

今でも、高校のチームメイトたちとは仲が良くて、正月に毎年集まっています。

 

 

でも、それだけでは届かないところがあって、

更に上に行くためには、学ぶことが必要でした。

 

オフボールの動き、

身体能力に関係なく学べるNBA選手の凄さ、

そこを学べば、もっともっと高校生の時間を効率よく使えて、

もっとバスケが上手く、楽しく、強くなれたなと思います。

 

 

でも、それも大事な経験ですよね。

 

「あの当時、高校生の頃に、今と同じ知識があれば今頃…」

と思う気持ちは、めちゃくちゃありますが、

でも、たぶんそれはできないことなんだと思います。

 

高校生の頃の熱量があったからこそ、

今、いろんなことに気付けているなと思います。

 

 

 

僕は大学二年生の時、「情報発信」というものを知りました。

 

その時、最初に何を発信していくか、

「過去の自分に対して、一番伝えたいことは何か?」

を考えた時に、迷わず浮かんだフレーズが

「NBAで凄いのはダンクだけじゃない」

でした。

 

NBAの凄さを学べば、バスケの世界は変わる。

バスケの世界が変われば、日常の世界も変わる。

 

もっと多くの人と学び合う場を作りたい。

ネット上でバスケを学べる学校のような場を作りたい。

部活をもっと楽しく、バスケをもっと面白いものに変えていきたい。

 

そう思って、情報発信を始めました。

 

 

バスケを始めたミニバスの時から今まで、

全ての経験のおかげで情報発信に辿り着けました。

 

 

そして、そんなバスケの楽しさを22歳にして初めて知れたので、

バスケを辞める理由がなくなって、「もっともっと高いレベルでバスケをしたい」と思い、

大学の部活を引退した後は、プロの世界を目指すことにしました。

 

全国大会も出場したことがないし、

個人の実績も一つもない普通の選手だったので、

自分がプロになれる実力があるわけでは決してなかったですが、

ただ、チャレンジせずに終わるのは違うなと思って、

トライアウトを受けることにしました。

 

 

そして、ここからまた新しい物語がスタートします。

 

(続く)

 

 

【第4話】プロの世界と変人師匠

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