【第1話】世界で一つだけのバスケゴール

【第1話】世界で一つだけのバスケゴール←今ココ
【第2話】「キツイ練習をしないと勝てない」
【第3話】椎間板ヘルニアとNBA選手の凄さ
【第4話】プロの世界と変人師匠
【最終話】理想の未来

 

 

はじめまして、原田です。

 

今回は、
僕がどうして情報発信を始めて何を目指しているのか?
について物語風に話していこうと思います。

 

僕は今25歳で、ブログ以外にも、
ネット上でコミュニティを開いていたり、
情報発信を通して様々な活動を企画・運営しています。

 

その中で沢山のコメントをいただいて、
中学生から大人まで、選手からも指導者からも意見をもらいます。
中にはバスケをしていないサッカー関係者の方とか、
僕よりもバスケの経験や実績がある方もたくさんいます。

 

これだけ色んな人と関わることができているのは、
とても嬉しいことですし、何よりも楽しいです。

 

 

僕はこの発信を通して

部活動を変えていきたいです。

 

部活動を変えることができたら、
あらゆるスポーツの場が変わっていくし、
日本の教育も変わっていくと思っています。

 

いきなり壮大な話に聞こえるかもしれませんが、
どうして僕がそう思うようになったかを今から話していきますね。

 

 

 

・・・

 

僕がバスケを始めたのは、小学校5年生の時。

 

二歳年上の兄がミニバスに入ったことをきっかけに、
双子の弟と一緒のタイミングでミニバスに入りました。

 

僕らの代は特別強いわけではありませんでしたが、
監督はドリブルパスシュートなどの基礎をきちんと教えてくれて、
自由に遊ばせてくれたのでバスケに夢中になっていきました。

 

アフロヘアーが特徴の監督で、
「バカヤロウ!」と笑顔でよく言われたり、
「ねみぃから今日は寝る」とゴール下で寝ていたり、
一度会ったら忘れられないくらいキャラの濃い監督です。

 

僕の両親はバスケをしていませんでしたが、
僕ら兄弟三人のことを応援してくれてバスケゴールを”作って”くれたりしました。

キッコーマンの箱と脚立。
ボールはサッカーボール、フロアは凸凹。
ボードは木の板というユニークすぎるゴール。

 

世界で一つだけのバスケゴール!
と自信をもっていえます。

 

「あるものを組み合わせる」
というもったいない精神を持っていた父親らしく、
身の回りのものを組み合わせて作ってくれました。

 

なかなかのセンスです。

 

 

 

そして、中学校に進学。

 

中学の楽しみは、部活動に入れること。
学校に行く目的は、99%バスケでした。

 

中学校でも素晴らしい監督と出会います。

 

一個上の先輩のお父さん、平林さんという方。

身長が高く、細身で、
見本のシュートフォームも綺麗。

ミニバスの頃から僕に声をかけてくれたりしていて、
中学校では外部コーチとして僕らのバスケを見てくれました。

 

平林さんは、仏様みたいに優しい人です。

 

安西先生みたいとも言えるくらい、
僕らにバスケットボールの楽しさを伝えてくれたし、
上達して強くなる楽しさ、NBAの楽しさも教えてくれました。
今でも年に数回、焼肉を食べながらバスケの話をします。

 

平林さんは、選手の判断を尊重してくれます。

 

どんなミスをしても、どんなプレーを選んでも、
僕らのことを信頼してくれて自分たちの強みを出すことの手助けをしてくれる
という人で色々な練習を取り入れながら指導してくれました。

 

試合中は、基本的に座っているだけ。

 

「監督は静かに座っていて、それで強いってのがカッコいいだろ?^^」
とよく言っていました。

 

平林さんは、いつも足を組みながらベンチに座っていて、
安西先生のように僕らのことを温かく見守ってくれていました。

 

だから、僕らは自分たちで、
「ここはこうした方がいい」
「相手はこうきてるからこうやって守ろう」
と試行錯誤するようになっていったのです。

 

よく平林さんは、
「タイムアウトをとっても俺が喋る前に皆が喋りだすんだもんな^^笑」
と僕らのことをからかいながらそう言っていました。

 

 

それくらい僕らは自由に、
自分たちで工夫しながら部活をしていました。

 

平林さんは、バスケの知識がないから静かにしているワケではありません。
色々な本を読んでバスケの勉強をしていたし、選手としてもバスケに打ち込んでいた人です。

 

そして、何よりも大のNBA好き。

 

ミニバスの頃からNBAを見ていましたが、
平林さんの影響でさらに僕はNBA馬鹿になっていました。

 

小中学生の間に撮り溜めたビデオは、今でも残っています。

朝起きたら「NBA」の文字を新聞のテレビ欄から探し、
「まずは一面を読むんだよ」という親の言葉を聞き流し、
学校から帰ってくるとビデオを見て、その場でプレーの真似して、…
NBA漬けの日々を送っていました。

 

この頃、ゴールは改良されてこんな形になりました。

貰い物のゴール、自分たちで敷き詰めたレンガ。
何十回も切れたネットを取替え、ボールを買い替えながら、
暇さえあれば双子と兄の三人でバスケに明け暮れました。

 

双子だったので、常に対戦相手がいて、
数え切れない数の1対1をこのコートでしてきました。

1対1なのに、「136対100」という超ハイスコアもあります。
これは僕が36点差でボコボコに負けているということですね(笑)

 

遊びながら始まる1対1はだんだんと真剣になり、
「ファールだ」「ファールじゃない」という喧嘩に発展し、
家に戻って母親から「どっちが勝ったの?」と聞かれたときは、
「僕が勝ったよ!!」と同時に二人で言い合っていました。

 

中学校のときはよくチームメイトも遊びに来て、
学校帰りに真っ暗になるまでバスケをしていたりして、
近所からはうるさいという苦情がきていたほどです。

警察に電話されたこともあったし、
この狭さで3対3とかをしていたので、
壁にぶつかって足の指を骨折する友達もいました。笑

 

外用のボールでドリブルをつきながら学校に行ったり、
テレビを見るときはボールを持ってハンドリングをしたり、
階段の上に洗濯物の籠を置いて丸めた靴下を投げ入れたり、

 

時間も、空腹も、予定も忘れて、
夢中にひたむきにボールと遊んでいました。

 

 

 

両親の協力。
ミニバスのアフロヘアーの自由な監督。
NBAの楽しさと同時に部活の楽しさを教えてくれた平林さん。
ゴールをくれた両親の知り合い。一緒にバスケをした部活の仲間たち。
…いろいろな人のおかげでバスケ漬けの毎日を過ごしました。

 

 

しかし、この後、
こんな純粋なバスケ少年にが訪れます。

 

それは高校生になった時のことでした。

 

(続く)

 

【第2話】「キツイ練習をしないと勝てない」

 

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