【第1話】世界で一つだけのバスケゴール

【第1話】世界で一つだけのバスケゴール←今ココ
【第2話】「キツイ練習をしないと勝てない」
【第3話】椎間板ヘルニアとスパーズの「美」
【第4話】プロの世界と変人師匠
【最終話】NBAで凄いのはダンクだけ!?

 

 

はじめまして、原田です。

 

今回は、
僕がどうして情報発信を始めて何を目指しているのか?
について話していこうと思います。

 

僕は今27歳で、ブログ以外にも、
ネット上でコミュニティを開いていたり、
情報発信を通して様々な活動を企画・運営しています。

 

その中で沢山のコメントをいただいて、
中学生から大人まで、選手からも指導者からも意見をもらいます。
中には、バスケをしていないサッカー関係者の方とか、
僕よりもバスケの経験や実績がある方もたくさんいます。

 

これだけ色んな人と関われるのは、
とても有難いことですし、何よりも楽しいです。

 

 

今は、誰もがネットにアクセスできる、とても便利な時代です。

 

世界中の情報にアクセスできるので、

何かを知りたいと思えば、GoogleやYoutubeで検索をしたら、

いくらでも、どこにいても、バスケを上達させることができます。

 

そんな時代だからこそ、

僕は、情報発信を通して、

「ネット上にバスケの学校を作る」

ということを目指しています。

 

学校と言っても、実際に通う場があるわけではありません。

 

でも、この発信が学校と同じように、

バスケが好きな人が毎日集まってくれて、

みんなでバスケを学んだり、バスケをしたり、

バスケ以外の分野を勉強したりしていけるような

そんな場所になったらいいなと思いながら活動しています。

 

 

それでは、僕が誰で、どんなバスケ人生を歩んできたのか

について話していこうと思います。

 

 

 

・・・

 

僕がバスケを始めたのは、小学校5年生の時。

 

二歳年上の兄がミニバスに入ったことをきっかけに、
双子の弟と一緒のタイミングでミニバスに入りました。

 

僕らの代は特別強いわけではありませんでしたが、
監督はドリブルパスシュートなどの基礎をきちんと教えてくれて、
自由に遊ばせてくれたのでバスケに夢中になっていきました。

 

アフロヘアーが特徴の監督で、
「バカヤロウ!」と笑顔でよく言われたり、
「ねみぃから今日は寝る」とゴール下で寝ていたり、
一度会ったら忘れられないくらいキャラの濃い監督です。

 

僕の両親はバスケをしていませんでしたが、
僕ら兄弟三人のためにバスケゴールを作ってくれました。

キッコーマンの箱と脚立。
ボールはサッカーボール、地面は凸凹。
ボードは木の板というユニークすぎるゴール。

 

世界で一つだけのバスケゴール!
と自信をもって言えます。

 

「あるものを組み合わせる」
という、もったいない精神を持っていた父親らしく、
身の回りのものを組み合わせて作ってくれました。

 

 

 

そして、中学校に進学。

 

中学の楽しみは、部活動に入れること。
学校に行く目的は、99%バスケでした。

 

 

中学校でも素晴らしい監督と出会います。

 

先輩のお父さん、平林さんという方です。

身長が高く、細身で、
見本のシュートフォームも綺麗。

ミニバスの頃から僕に声をかけてくれたりしていて、
中学校では外部コーチとして僕らのバスケを見てくれました。

 

平林さんは、仏様みたいに優しい人でした。

 

安西先生みたいとも言えるくらい、
僕らにバスケットボールの楽しさを伝えてくれたし、
上達して強くなる楽しさ、NBAの楽しさも教えてくれました。
今でも年に数回、焼肉を食べながらバスケの話をします。

 

平林さんは、選手の判断を尊重してくれたので、
どんなミスをしても、どんなプレーを選んでも、
僕らのことを信頼してくれて自分たちの強みを出すことの手助けをしてくれる
という人で、色々な練習を取り入れながら指導してくれました。

 

試合中は、基本的に座っているだけ。

 

「監督は静かに座っていて、それで強いってのがカッコいいだろ?^^」
とよく言っていました。

 

平林さんは、いつも足を組みながらベンチに座っていて、
安西先生のように僕らのことを温かく見守ってくれていました。

 

だから、僕らは自分たちで、
「ここはこうした方がいい」
「相手はこうきてるからこうやって守ろう」
と試行錯誤するようになっていったのです。

 

よく平林さんは、
「タイムアウトをとっても俺が喋る前に皆が喋りだすんだもんな^^笑」
と僕らのことをからかいながらそう言っていました。

 

 

それくらい僕らは自由に、
自分たちで工夫しながら部活をしていました。

 

平林さんは、バスケの知識がないから静かにしているワケではありません。
色々な本を読んでバスケの勉強をしていたし、選手としてもバスケに打ち込んでいた人です。

 

そして、何よりも大のNBA好き。

 

ミニバスの頃からNBAを見ていましたが、
平林さんの影響でさらに僕はNBAにハマりました。

 

 

小中学生の間に撮り溜めたビデオは、今でも残っています。

朝起きたら「NBA」の文字を新聞のテレビ欄から探し、
「まずは一面を読むんだよ」という親の言葉を聞き流し、
学校から帰ってくるとビデオを見て、テレビの前で真似する。

 

そんなNBA漬けの日々を送っていました。

 

 

この頃、父親の知り合いがゴールをくれるということで、

家の庭に、新しくバスケコートを作ることになりました。

 

完成したゴールがこれです。

レンガは一つひとつ、自分たちで敷き詰めました。

 

このコートができてから、兄弟でずっとバスケをしていました。

ネットは何度取り替えたかわからないし、

ボールもすぐにボロボロになって何度も替えました。

 

 

僕は双子だったので、常に対戦相手がいて、
数え切れない数の1対1をこのコートでしてきました。

1対1なのに「136対100」という超ハイスコアもあります。
これは僕が36点差でボコボコに負けているということですね(笑)

 

遊びながら始まる1対1はだんだんと真剣になり、
「ファールだ」「ファールじゃない」という喧嘩に発展し、
家に戻って母親から「どっちが勝ったの?」と聞かれたときは、
「僕が勝ったよ!!」と、同時に二人で言い合っていました。笑

 

中学校のときはよくチームメイトも遊びに来て、
学校帰りに真っ暗になるまでバスケをしていたりして、
近所からはうるさいという苦情が来たこともありました。

 

この狭さで2対2もよくやってました。

(狭すぎて壁に激突することもよくありました。笑)

 

外用のボールでドリブルをつきながら学校に行ったり、
テレビを見るときはボールを持ってハンドリングをしたり、
階段の上に洗濯物のカゴを置いて丸めた靴下を投げ入れたり、

 

とにかく、バスケに夢中になりました。

 

 

今もバスケをこれだけ続けられているのは、

確実に、両親がこのコートを作ってくれたからです。

 

僕の原点です。

 

 

そして、僕は迷いなく、

高校でもバスケを続けることにしました。

 

高校でも、相変わらず、

「学校=部活をするための場所」

でした。

 

 

でも、高校生になった時、

僕は「別人」かのようにバスケに対する考え方が変わって、

”ある大きな勘違い”をしてしまうのでした。

 

(続く)

 

 

【第2話】「キツイ練習をしないと勝てない」

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