先日、高校の恩師の訃報を受け取りました。
藤森先生
僕の高校時代の指導者です。
前の記事で書いたように、ちょうど拠点を長野に移したところで「また先生に会いに行こう」と思っていた矢先の出来事でした。
70歳、最後までバスケットボールが大好きな先生で
1年半前にいつもの居酒屋で食事をした際も中学生女子の指導に携わっていて、
「面白れぇんだ」
と、あの温厚な笑顔で言っていたのを昨日のことのように思い出します。
※真ん中の赤いセーターを着ているのが藤森先生
藤森先生の右隣はACをしてくれていた宮下さん、左隣は先輩の村上さん
僕の高校時代を支えてくれた恩師、藤森先生を偲んで追悼記事を書かせていただきます。
このブログ内の自己紹介でも書いているのですが、
高校生の頃の僕は「強豪校の練習が正しい」「勝つためには厳しさが必要だ」という考え方だけを信じていて、
チームメイトの個性とかチームの強みとか、賢さとか、チームプレーの楽しさとか、駆け引きとか、勝利する喜びとか、
そういうことを感じずに、ただひたすら「厳しく練習することが正義」だと思ってバスケに打ち込んでいました。
藤森先生は、そんな僕に対して「ダメだ」と言うこともなく、
ただ後ろに立って温かく見守り、僕たちの主体性を大切にしてくれました。
今の僕が「大和」という発信ができているのは、藤森先生のおかげです。
まず始めに、僕の母校「諏訪清陵高校」について話させてください。
なぜなら藤森先生も清陵の卒業生であり、
清陵の校風が藤森先生の指導に影響を与えていたと思うからです。
諏訪清陵高校は、長野県の公立高校です。
僕の頃は長野県ベスト8に入るレベルで、
スポーツ推薦があるような強化クラブではありませんでした。
ただ、清陵は昔から伝統をとても重んじていて、
バスケットボール部のOB会もとてもしっかりしています。
そして、校風がとてもユニーク。
(僕らの時は今とは時代も違い、色々なおかしな活動がありました)
校歌が日本一長い、私服や髪を染めるのも自由、教室に時計がないなど。
校風は「自由」っていう感じでした。
でも、その「自由」には、
「責任」と「主体性」が求められます。
そんな学校です。
そんな自由でありながら、
一人ひとりの自律や主体を重んじている清陵高校は
以下のような教育理念があります。
これは現在の教育理念で、僕らの時と変わっている部分があるかもしれません。
ただ、この中で
「絶対にこれは変わっていない」
というものがあります。
130年の歴史の中で、この理念はずっと大切にされてきているはず。
それが「自反」という言葉。
「自分自身を反省して正しいと確信できたのなら、たとえ相手が千万人であったとしても自分は恐れずに立ち向かっていく」
高校時代に学んだ数学や古典などの知識はもう覚えていませんが、
この孟子の言葉は忘れられません。
「自分自身を反省して」というところがポイントなのではないか、と個人的には思っています。
ただただ「自分が正しい」と信じたことだけを貫くのではなく、
一度、自分自身を振り返り、反省した上で、それでもなお「これだ」と思うのであれば、その道を信じて貫いたらいい。
そう、僕は捉えています。
こういった学校の校風を藤森先生は卒業生なのでとても大切にされていました。
清陵はOBの皆さんを見ていても、自分たちの学校が大好き人が多いです。
誇りを持っている、という感じがします。
それは、きっと、
この孟子の言葉がそうさせているんじゃないかなと思うし、
「自由」の中にある「責任と主体性」を大切にしてくれた藤森先生は、
まさに諏訪清陵の在り方をきちんと僕らに伝えてくれたと感じています。
当時の僕はキャプテンをしていて、練習メニューを僕が作り、コーチのような立場で練習をしていました。
そうさせてくれたのも、藤森先生です。
「先生、~してもいいですか?」
と練習ドリル(走るメニューや筋トレなど)を藤森先生に提案すると、
先生はいつも
「おう、やってみろや」
と温かい笑顔でGoサインを出してくれました。
あの藤森先生の温かい表情は忘れられません。
「選手からの提案を否定せずに温かく受け入れる」
これって、なかなかできないことです。
今、僕は大和籠球の「指導者育成講座」を創っていて、
その中で「指導者の在り方」を以下の4段階に分けて伝えています。
0.支配
1.教育
2.指導
3.和導
「指導者としての在り方を整える」ということをテーマに様々なことを伝えさせてもらっていますが、
藤森先生の在り方は、選手が安心して何かを提案できる「和導者」の在り方だったなぁと思います。
この藤森先生の在り方があったから、
「自分が信じたものを、自分で決めてやり切る」
という大切な経験をさせてもらいました。
自分で決めて自分たちで本気で取り組んだことだったので、
今思えば未熟だったと思うことも全て今に活きる大切な宝物になっています。
もしあの時、藤森先生が僕の提案を否定していたら、
もしあの時、藤森先生が支配的な指導をされていたら、
今の僕の活動はなかっただろうなぁと思います。
まだまだ世の中には「支配的な場」があります。
選手がミスを恐れている、コーチの目をいつも気にしている、コーチの要求にこたえることがバスケをする目的になってしまっている、
そういう現場がまだまだあると感じるから、僕はこの活動を通してより良いスポーツ界(教育界、ひいては社会)を創っていきたいと思っています。
選手からの提案があった時、「いやそれは・・・」と反射的に選手の考えを否定しない。話を遮らない。
選手の主体性を奪うような発言をしない。言葉一つひとつを大切に丁寧に。
そんな在り方で選手と関わっていきたいですよね。
そもそも
・「選手からの提案」が出てくるというの”関係性”を築けているか?
ということも大切なこと。
選手から質問ができる在り方を示せているか。
選手が「この先生になら提案できる」と思える在り方を示せているか。
在り方というのは、言葉以上に、その人自身からにじみ出ているものです。
藤森先生は多くを語る人ではなかったですが、
「先生なら聞いてくれる」という安心感がありました。
選手の提案を否定せず温かく受け入れる。
この在り方を僕は引き継いできたいと思うし、
大和籠球を通して、多くの人に伝えていきます。
藤森先生からは具体的なバスケットボールのプレーでも沢山のことを教えていただきました。
それを一つひとつ、文字にさせていただきます。
・板を使え
・30秒シュート
・置き足
・2対2
・リバウンド
〇板を使え
藤森先生がよく言っていたのが、シュートの際に「板(ボード)を使え」ということでした。
後述する「30秒シュート」でバンクシュート(ボードを使ったシュート)を練習するのですが、なぜ板を使った方がいいのか?というと、「外れたとしても自分の方にボールが戻ってくるから」だと言っていました。僕はミドルシュートは0°以外はほとんどバンクシュートを打つのですが、それは高校時代に身に付いたことです。正面のバンクシュートは特に使えます。
〇30秒シュート
「藤森先生と言えば」というドリルです。
ボール拾い2人、シューター1人、30秒間”同じ場所から同じシュートを打ち続ける”というシューティング練習。これがとても効果的なのです。
藤森先生はこのドリルに対して「指先の感覚を養うため」「同じ場所から打ち続けることに意味がある」ということを、数年前に飲み会をした時に言っていました。
この30秒シュート、僕は今でも伝えています。この練習の際に、先ほど言った「板を使う」ということを練習します。シュートは近い距離でたくさん打ちます。シューターを休ませないようにどんどんパスを出していくのですが、キャッチの仕方がズレる時があっても「指先の感覚」で入るように打つことを意識します。
僕の双子も「30秒シュートで確実にシュート力が上がった」と言っていますし、この近い距離の反復練習はとても効果的です。一人3セット~6セットくらいやっていたと思います。
〇置き足
1対1の際に、ジャブステップの足をいとど相手の横に”置いて”ドライブをする、という技術です。
「これ、藤森先生のやつだったのか!」と氣付いたのは藤森先生が亡くなった後、同期とLINEをしていた時でした。これ、僕の得意技で1対1の技術としてYoutubeでもよく発信していました。それがまさか藤森先生から教わっていたとは…失礼ながら忘れていました。
その当時の僕はNBAのクロスオーバーばかりを真似していたので「ジャブステップで抜く」ということに魅力を感じていなかったから、やっていなかったのかなと思います。高校時代の自分に言いたい、これは使えるぞって。
今でも「1対1を教えてください」と言われたら、これを教えています。「置き足」っていう名前でこれからは発信することに決めました。
〇2対2
藤森先生はセットプレーが好きで(得意で)、女子チームを強くするのが得意だということを宮下さん(ACをしてくれていた恩師)から聞きました。
セットプレー、実はあまり覚えていなくて…ごめんなさい藤森先生!でも「2対2」は覚えています。今のバスケでもこれは使えるもので、エルボーを使った所謂「Get action」を教えていただきました。
当時は「Get action」という名前はなかったし、それほどこのプレーは使われていなかったと思います。でも僕らは藤森先生から教わったこの2対2をチームの武器としていました。今考えても、あの2対2は効果だし、現代で「Get aciton」として使われていることを考えてもバスケの本質に通じることを教えてもらっていたんだなぁと思います。
図で表すと以下のような戦術です。
・レシーバーがリングに背を向けてパスを受ける
・パサーはボールマンに向かっていき、表カウラ科の駆け引きをする
この2対2は非常にシンプルですが、今、僕がプリンストンで伝えている「バックカット」の要素も入っていることに気付きました。当時の僕はバックカットの選択肢がなかったんですけどね。一度パスを出してから動くことで、ドリブル技術が問われず、自由に動けることから駆け引きで優位になりやすいです。それがGet acitonのメリット。
シンプルな動きですが、シンプルだからいいのです。
今でこそ「Princeton Offense」という複雑に見えるオフェンスを伝えている僕ですが、Princeton Offenseというのもやっていることは「2人での崩し」です。2人が目を合わせて、タイミングを合わせて「バックカット」を武器にズレを創っていく。それを5人で連動させたものがPrinceton Offenseなので、シンプルな「2対2」で成り立っているとも言えます。
色々なことをやって中途半端になるよりも、チームで「これ!」というシンプルな武器を作っておくのが良いですね。
〇リバウンド
最後に、藤森先生がいつもベンチで言っていたのは「リバウンドー!!」でした。
これは本当によく覚えています。僕の同期もみんな、この「リバウンドー!!」を覚えているとよく言っていました。藤森先生は試合中は基本的にずっと座っていて、僕ら選手のプレーを見守っているというコーチングスタイルだったのですが、リバウンドの際だけは別でした。立ち上がって大きな声で、時には怒りながら。
理不尽な怒りとかは一度もありませんでした。普段は温厚だし、見守ってくれています。でも、リバウンドに関してだけは違いました。それはリバウンドが勝ち負けを左右するからなんだろうなって今なら思います。それだけ勝利にこだわって指導してくれていたんだろうなと思います。
シュートが外れたら下を向いて戻らない、オフェンスリバウンドに行かない。そういう選手を見るたびに僕も「リバウンド!」という声をかけます。高校生の頃の僕は常に完璧を目指していて、理想が高すぎるがゆえにシュートが外れるとすぐ気持ちが下に下がっていました。
シュートが外れたらリバウンドを取ればいい。プレーは続いているんだから。
「リバウンドが大事です」っていう言葉は、軽く聞こえるかもしれません。
昔から言われていることだし、どの世代でも大事なのはみんな分かっていることだからです。
でも、僕はあの藤森先生の「リバウンドー!!」という気持ちのこもった声を知っているので、その大切さを身にしみて感じています。
リバウンドに対して、どんな指導をしていますか?
リバウンドを大切にしていますか?
・・・
ここまでが僕が藤森先生から教わった中で、特に印象に残っている技術指導です。
藤森先生から教わったのは今から18年近く前の話ですが、どれも今にも通じることだと僕は思います。
僕は「時代が変わっても大切なこと」を引き継ぎ、
進化発展させて伝えていくことを人生の志としています。
藤森先生から教わったこと、きちんと伝えていきます。
ここからは、僕が知らなかった藤森先生の話を。
お葬式で弔辞を読んだのは、
高校でACをしてくれた恩師の宮下さん。
宮下さんは藤森先生の1つ下の後輩。
「あなたと出会ったのは、55年前の体育館でしたね」
宮下さんが話した藤森先生のエピソードに涙が止まりませんでした。
僕の知らない選手時代の藤森先生。
宮下さんの弔辞の中で、
藤森先生が後輩から慕われていたこと、
モップがけなど人があまりやりたくないことを学年関係なく進んでやっていたこと、
女子チームを強くすることが得意だったこと、「藤森マジック」と呼ばれる戦術でチームを勝利に導いていたことなど、
色々なことをそこで知りました。
「選手の後ろに立ち、見守る。それがあなたのやり方ですか。カッコよすぎるじゃないですか」
これも宮下さんの言葉。
宮下さんの弔辞は、宮下さんらしい力強い言葉でした。
そんな宮下さんの弔辞を聞いた僕と歳が近い先輩たちは、口をそろえて「感動しました」と言っていました。
そして、一人の先輩がこう言っていました。
「ああいう言葉、あの力強さは、そういう生き方をしてきた人にしか出せない」
本当にそうだなぁと思えました。
その人の生き方は、その人からにじみ出てくる。
言葉や姿勢や目、所作、佇まい(たたずまい)、空気として
それは、上辺の言葉では隠せないのだと思います。
宮下さんの力強い言葉が、宮下さんの生きざまを表したように、
藤森先生からは、藤森先生らしい優しい温かさがにじみ出て居ました。
「おう、やってみろや」
あの笑顔で僕の提案を受け入れてくれた藤森先生の表情は、これからもずっと心の中で思い出します。
宮下さんは、弔辞でこうも言っていました。
「そちらはどうですか。〇〇さん(亡くなられた藤森先生の恩師)と仲良くやってますか。そちらから見守っていてください。私はもう少しこちらで、自分の生き方を模索します」
お葬式に参列し、自分の人生についても考えさせられました。
きっと、誰もが「死」というものを身近で感じた時、
自分の人生を振り返り、生き方を考え直すのだと思います。
死は誰にでも平等にやってきます。
それがいつなのかは誰も分からないけれど、
人生は一度きりで、必ず人は亡くなるのだけは決まっています。
僕は自分が死ぬまで、人にどんな影響を与えられているんだろう。
死ぬまでに、どんなことを成し遂げられているんだろう。
どんなことを成し遂げたいのだろう。
死んだ後に、人にどんな影響を与えることができるだろう。
そんなことを考えさせられました。
僕には「志」があります。
志を立てました。
「先人の想いや経験を引き継ぎ、進化発展させることで、全ての人が自分らしく生きられる場と仕組みを創ること」
自分で決めたことです。
この藤森先生への追悼記事も、志に沿って書かせていただいています。
僕は死ぬまでに成し遂げたいことを決めています。
これから更に増えていくかもしれないけれど、
今のところは「大和籠球」を体系化させて後世に残すこと。
大和籠球を通して、自分らしく生きられる人を増やしていくこと。
指導者育成講座を通して、
大和籠球を伝えていける指導者を増やし、
共にバスケットボールをより面白くすること。
まだ僕はやり残したことがあるので死にたくないし、死にませんが、
もし自分が死んだ時は、これまで僕が創ったコンテンツの全てを公開したいです。
(そして、僕の志を同志が継いでくれて大和籠球の和を更に広げてくれたら最高に嬉しい)
誰でも学べるようにネット上で公開したい。
そのコンテンツを読んだ人、動画を見た人が僕の「志」を受け取ってくれたら嬉しい。
そこには藤森先生から学び、引き継いだ、この記事も含まれています。
そういうことを僕は人生でやっていきたい、やると決めて生きています。
藤森先生を始め、高校時代に関わったチームメイト、コーチ、仲間との経験があるから、
今の活動をするようになったので、皆さんから学んだ時間を「大和籠球」に含めて行動していきます。
日々、目の前にいる人との時間を大切にします。
最後に、藤森先生の言葉を紹介します。
(これもお葬式の席で襲ったことです)
「バスケットボールが上手いかどうかは関係ない。一生懸命努力するかどうかが大事なんだ」
とても力強い言葉。
藤森先生、訃報を聞いた時は涙が止まりませんでした。
地元に戻って来たタイミングだったので、またご飯に行けると思っていました。
高校生の時はたくさん迷惑をかけました。生意気でごめんなさい。
「つよしは自分にも他人にも厳しかったからな」
と、前に飲んだ時に笑顔でおっしゃってくれましたね。
キャプテンをしていた僕を信頼してくださり、ありがとうございます。
「バスケットは面白れぇんだ」
その面白さを僕も伝えていける指導者・発信者になります!
高校生の頃から成長した僕のこと、僕のバスケットボールを見守っていてください。
藤森先生から学んだことをきちんと伝えていきます。
PS.
恩師の宮下さん、先輩の村上さん、そしてOBでお世話になった皆さんとの写真。
おちゃめなポーズをしている村上さん、「藤森先生はいつでも人を笑顔にする面白いことをする人だったからね、こういうこと藤森先生好きだったから藤森先生に敬意をこめてやってる」と言っていました。知らなかった。
藤森先生は英語の先生で、先生の授業を僕は受けていました。確かにそう言われれば、授業中に面白いことを言っていました。オヤジギャクが好きだったみたいですね先生。
英語は今、ひそかに勉強しています。今後の人生の道を広げるために。古典の授業は開始早々寝ていたけれど、藤森先生の英語だけはちゃんと受けました。英語はいつか使うと思って…それが今まさにその時なのかもしれません。これも藤森先生からのメッセージと受け取って。
先輩たちが経験したバスケットボール、大切にしてきたもの、藤森先生の優しさ、いろいろなものを心にもちながら、これからも情報発信を続けていきます。
PS.
「ハーフジャブ」とか名前つけてましたが、これからは「置き足」と伝えます。