Jamaica's Usain Bolt (R) shakes hands with team members of team Japan at the end of the Men's 4x100m Relay Final during the athletics event at the Rio 2016 Olympic Games at the Olympic Stadium in Rio de Janeiro on August 19, 2016. / AFP PHOTO / Eric FEFERBERG

こんばんは、原田です。

ボルトのラストラン。まさかまさかの結末でしたね。ただ、あの終わり方にも様々な声があり、レジェンドだからこそ、あの終わり方でも讃えられているのだと思います。それだけ残してきたものが大きすぎるからですね。

 

ボルトは日本の桐生選手にこんな言葉を残しています。

スピードを保てばいいのに、さらにスピードを上げようとしている。

大事なことは、トップスピードに乗ったらフォームを保ち、スピードを維持することだ。

多くの選手は、トップスピードから、さらに速くなろうとする。

それでは、速度にテクニックが追いつかず、逆に遅くなってしまう。

トップスピードに乗ったら、それ以上は速くならない。

だからといって「その記録を超えよう」と焦ってはいけない。

速く走ることばかり考えて、逆に遅くなる選手はたくさんいる。

速く走ろうなんて考えるな。「自分の走りをすることだけ」を考えたほうがいい。

 

最後に1つ、いいかい。日本の陸上界にいいたい。

桐生にあまりプレッシャーをかけないでほしい。

いいか、桐生。自分のために走れ。それが国のためになればいい。

まずは『自分のために走る』。そして『楽しむ』。

それが日本のためになるんだ。決して国のためだけに走ってはだめだ。

これは有名な言葉ですが、本当に考えさせられる言葉です。

 

色々な解釈の方法があり、スポーツに限らず、色々な場面で応用することができると思います。

あえてスポーツで考えてみると、「勝利」っていうことについてかなり考えさせられますね。ボルトは、「速く走ることばかりを考えて、逆に遅くなる選手はたくさんいる」と言っています。これは、「勝とうとすればするほど勝ちが遠ざかる」ということでもあると思います。既に勝てるとわかっている勝負の前では、「絶対に勝つぞ!!」みたいに気合を入れることはなく、自然な状態で戦えるものです。でも、自分たちが相手に劣っていると分かっている(思っている)場合は、「絶対に今日は勝つぞ!!」と気合が入るものです。そのことで試合に勝てるときもありますが、意外と多くの場合は、身体に力が入って普段の力を発揮できずに負けることがあります。勝とうとすればするほど勝ちから遠ざかる、なんてこともあるのかもしれません。平常心ほど難しいものはないですが、考えさせられる言葉ですね。

 

それと、もう一つの解釈は、指導者との関係について。

ボルトは、「自分のために走れば、それが国のためになる。楽しめ」ということを言っています。素晴らしい言葉ですね。これは指導者と選手の関係でも同じことが言えると思います。指導者のために、指導者が求めることを、指導者の期待に応えられるように、…そうやっていつも「指導者」が選手の頭の中にいることは、選手を自立させることにはなりません。それは、スラムダンクの谷沢と同じような状況になってしまいます。本来使うべき自分の成長にエネルギーを注げず、他人の期待に応えることにエネルギーを注いでしまう。それは、「指導者がいなければ力を発揮できない」という依存関係を生み出してしまう可能性があります。

選手は自分のため、自分たちのために、バスケを楽しめば、それがイコール指導者のためにもなります。指導者は自分がいなければ選手が動かない状況を作るのではなくて、自分がいなくても選手が楽しめて自発的に動ける状況を作る必要があります。それがスポーツをする価値であり、楽しみであるはずです。

 

 

最後に、「楽しめ」と。

 

たった三文字の中にボルトの様々な経験が凝縮されていると思うので、簡単に何かを言うことはできませんが、人類史上最速の人間は楽しんでいるんですね。色んなプレッシャー、細かい技術があるはずですが、全ての基盤は「楽しむこと」。今のバスケ界も、様々な技術とかシステムとか色々増えてきていますが、選手が楽しむことが第一ですよね。どんな状況でも指導者の考えを押し付けるのではなくて、選手たちがどう感じているか、楽しんでいるかが全ての基準です。

 

 

今回のリレーの終わりに桐生選手はこう言っていました。

なんて言っていいか分からない。走り切れていたら、日本は4番かもしれない。それでも走って欲しかった…

今回ボルトが負傷しなかったらメダルを取れていなかったかもしれません。それでもボルトに走ってほしかったという桐生選手。メダルを取ること以上に、ボルトとの勝負を楽しみにしていたということなのかもしれません。僕の友達では、全国大会に毎年出るような高校出身の人がいて、バスケではないですけど、話を聞いたことがあります。「全国大会に出ても、優勝しても、正直、そんなに感動するようなことじゃなかった」と言っていて、指導者にやらされての部活動だったと言っていました。「勝利よりも大切なことがある」なんていうと綺麗事に聞こえますが、考えさせられる100m×4のリレーでした。ボルトが負傷したことが日本のスポーツ界に対して何かしらのメッセージだとするならば、勝利至上主義について、勝負の厳しさや楽しさについて教えてくれたように思います。

 

 

ボルトお疲れ様!!

投稿者 原田毅

33歳。大学一年生の冬にNBA選手のスペーシングの凄さに気づいてから、NBAから戦術やバスケの本質を学ぶようになりました。その後、NBAの凄さを学ぶ中で「日本」について知らない自分がいることに気づき、武術の世界を学ぶようになり、今は武術をバスケに応用する考え方を学んでいます。現在もプレイヤーとしてプレーを続けながら、ネット上では通信講座などを運営しています。

「ボルトが日本に残したメッセージ」に4件のコメントがあります
  1. はじめまして。
    ボルトの言葉、「日本の陸上界に言いたい」ことは、指導者ばかりでなく、保護者にも当てはまると感じました。
    ぜひ、保護者はどうあるべきか?
    お考えをお聞かせください。

    1. こんにちは。
      そうですね。あらゆる対人関係に当てはまることだと思います。それは、部活動に関わる保護者がどうあるべきか?という解釈で良いでしょうか?

      1. お返事いただきありがとうございます。

        自分の子が部活(ミニバス)に属している保護者の場合です。
        我が子との関わり、指導者との関わり。
        よろしくお願いします

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です