僕が「スキル」と「NBA」を捨てた日。

この記事は10分で読めます

~拝啓~

10年前の自分へ

 

 

毎朝練習をするために五時半に目を覚まして、

眠くても寒くても「ここで妥協したら上手くなれないぞ」と自分に言い聞かせて、

絶対に二度寝をせず、始発に乗って、電車の中の数分を仮眠して、自転車を漕いで、

誰もいない体育館の鍵を開け、静かなコートでドリブル練習に明け暮れる10年前の自分へ。

 

 

今はまだ気づいていないかもしれないけど、

今から10年後くらいに、君はその練習を捨てることになるんだ。

 

今はまだ信じられないと思う。

 

「1対1が上手くなればバスケが上手くなれる」

「1対1が上手くなるには、ドリブルのスキルが必要だ」

そう信じているから仕方ない。

 

でも、それらは必要なくなるんだ。

 

妥協を許さず、

毎日自分の全力で、

必死に練習をしているけど、

でも、その練習は後で捨てることになる。

 

またゼロに戻るんだ。

 

バスケットボールを初めて手にした時みたいに、

誰からも何も教えられていない状態に戻るんだ。

 

だから、スキルなんて言葉も知らない。

 

クロスオーバーなんて言葉も知らない。

 

NBA選手のプレーだって見たことがない。

 

 

そんな何も持っていない状態になる。

 

今の君は想像できないだろうし、

そんなことをしたら下手になるんじゃないか?

何を言ってるんだ?練習が意味ないってことか?

と思うだろうけど、捨てることになる。

 

何も知らない、

何も身に付けていない、

誰からも何も教わっていない、

そんな状態に戻るときが来る。

 

今から10年後くらいにね。

 

正確な日にちを言えば、2018年11月21日。

 

その日を忘れることはないだろうね。

なんたって、今までの自分を捨てる日なんだから。

 

 

捨てたら何も残らないじゃん、って?

 

確かにそうだね。

今までやってきたことを捨てることほど勇気がいることはない。

 

あんなに練習をしてきたのに。

あれだけ妥協せずに早起きしていたのに。

あんなにNBAを見てドリブル練習をしていたのに。

あれだけ1対1が好きで何時間でも1対1をやったのに。

 

 

でも、大丈夫。

 

それは決して無駄じゃないから。

 

捨てることは悪いことじゃないから。

今までの自分を捨ててゼロになるってことは、

これから先、どんなことでも身に付けられるってことだ。

 

スキルを捨てること、

今までの練習を捨てること、

今までの自分を捨てることは、

まったく新しい自分になれるってことだ。


そして、捨てたものは必ずまた戻ってくる。


だから、その日になるまで、

必死に今の自分が大事だと思うことを練習しておいてね。

 

これから先、君は、

試合に負けることもあるし、

ヘルニアになって動けなくなるし、

バスケを辞めたいと思えるときもある。

 

いくら練習をしても上手くなれなくて、

いくら努力しても勝てない相手とも対戦する。

 

どうやっても守れないし、

どうやっても攻めれない相手と1対1をして、

そこで、君は今までの自分を捨てることになる。

 

さっき言った、あの日にね。

 

 

でも、その日を迎えられるのは、

今、必死に努力をして練習をしているからだ。

 

今の努力がなかったら、

あの日に受ける大きな衝撃は、

たぶん、そんなに大きなものではなくて、

今までの自分を捨てるほどにはならないと思う。

 

 

だから、迷わず、今の自分が信じる練習を続ければいいよ。

 

それがたとえ、後から振り返って、

無駄な時間だったと思えたとしても、

決して、その経験は無駄にはならないから。

 

 

今までの自分を捨てることでしか、新しい自分にはなれない。

 

それくらい大きな崩壊を経験するけど、

そんな崩壊を経験できるのも良いことだ。

 

信じてきたものだけでバスケ人生を終えるより、

今までの自分だと想像できないような面白いバスケを知って、

まだまだ一生バスケを楽しんでいけるなっていう方がいいよね。

 

 

大丈夫。

NBAが嫌いになることもないし、

スキルを捨ててもまた戻ってくる。

 

10年後、どんなことを経験するか。

 

それを楽しみに、

今の自分が信じているものを追いかけて、

今の自分が一番楽しいと思えるバスケをしよう。

 

 

じゃあ、また10年後に。

 

 

・・・

 

 

ということで、

10年前の自分へ手紙を書いてみました。

 

えーっと、何から話せばいいのかな。

 

とりあえず、今書いてきたことが起きました。

そう、いつ起きたかというと、2018年11月21日。

 

 

誰と何をしたかというと、

師匠の一人、慎さんと1対1をした。

そしたら、自分が崩壊してしまったという話。

 

1対1をしている途中、

「あああ、もうバスケやめようかな」

って思えるくらい無気力になった。

 

それくらいの差を見せつけられてしまって、

「もう守れないし、もう攻めれないから無理だ~」

っていう感じになりました。

 

 

経緯を話すと、

「慎さん、今日バスケしませんか?」

と気軽にいつものノリで聞いてやったら、

フルボッコにやられたっていう感じです。

 

いつも1対1をするときは点数制とかにもしていなくて、

点差とかあまり気にしていないし、いつもやられているんだけど、

今回はちょっと違ったんです。

 

いつも以上に、圧倒的な力の差を感じたというか。

 

自分の未熟さを突き付けられたというか。

 

 

動画を見たら「やる気ないだけじゃん」って思えるくらい抜かれまくりなんですけど、

オフェンスでもディフェンスでも、本当に何もできずに、どうしようもないって感じでした。

 

とりあえず、自分のオフェンスの崩壊から説明すると、

僕は中学生や高校生の頃から「ドリブル練習」をひたすらやっていて、

毎日(修学旅行の日以外)は桜木がやってるボール回しをやっていたり、

色々な本を買ったり動画を見漁って、いわゆるハンドリングメニューをやりまくりました。

 

小さい頃からNBAも見まくって、

1対1のシーンを何度も繰り返し見て、

テレビの前で真似て、体育館で真似てました。

 

だから、自分の中には、

・ドリブル練習のパターン

・真似していたNBA選手の動き

っていう自分なりのものが染み付いていたんです。

 

で、それを慎さんは全て読んでくるんで、

こっちからしたら、打つ手が完全になくなりました。

 

 

読まれてしまうのは、

自分ではない誰かのリズムだから。

 

あとは、踏ん張りと意識があるから。

 

この辺、体験したらわかるので言葉でどうこうの話じゃないんですが、

でも、動画だけだとどうしても「やる気あんの?」って思われるくらいやられてるし、

実際に体験するっていうのもなかなかできることじゃないので、やっぱり文字で伝えようと思います。

 

 

「右にこういうフェイクをして、そのあとクロスオーバーをして…」

っていう風に考えていたら、それが足の踏ん張りとか雰囲気に表れて読まれます。

 

だから、

自分が何かをやろう!とか思わず、

それでいて、今までの自分のリズムを捨てないといけない。

 

今までの自分のリズムをあえて崩して、

いつもと違う自分のプレーをしないと打てない。

 

 

結果、どうなるかというと、

「これをしよう」という意識を捨てて、

「今までの自分のリズム」を捨てるから、

残るのは、何にもないゼロの状態の自分。

 

 

ってことです、最初のエッセイの文は。

 

 

で、慎さんはこう言うんです。

 

「ニュートラル。それがすべて。以上。」

 

 

こんなの10年前の自分が聞いたら流してますね。

 

「なんだこの人、意味不明(笑)」

でお終いだろうなぁ。

 

でも、まぁそれはそれとして、

今の自分が腑に落ちることを信じてやればいいから、

その時、ニュートラルの意味が分からなくてもそれは仕方ない。

 

 

そして、慎さん、

今日はいつもと違うなと思ったから、

「今日、本気出してやったってことですか?」

って聞いたら、こう返ってきました。

 

 

「ん~~、今日はしっかりやったって感じ。本気ってなんだと思う?本(元)の気なわけやん。ようするに、もともとのエネルギー状態ニュートラルってこと。いつもふざけてやってたりしたけど、今日はただいつも通り、普通にやっただけ。ただそれだけ。」

 

 

・・・

 

はぁ、なるほど。。

 

「本気」って「全力でやるぞ!!」っていう感じでやることじゃなくて、

ニュートラルになること、つまり、今までの自分を捨ててゼロの状態になること。

 

「自然体が一番いい」

って、慎さんはいつも言いますが、

「全力でやってやる!!」ってなると、

その意識が先に行き過ぎてプレーが雑になったり、

相手にその意識が伝わって、相手の能力を引き出したりします。

 

 

「相手の能力を引き出さない」

 

慎さんがディフェンスをしているときに考えているのは、

相手の能力をいかに引き出さないように、相手を強くしないように守れるか、らしいです。

 

 

たとえば、相手がドリブルが上手かったら、

こっちから間合いを詰めたり取りに行けば、

その上手いドリブルを使って「抜いてやる!」ってなるから、

じゃあ、それをさせないために、間合いを開けて何もしなかったらいいねって。

 

そういう発想で慎さんは守ってるらしいです。

 

 

その他にも、自分主体で守れるように、

「データ収集」みたいなのをしているらしい。

 

「この間合いなら打ってくるのか」

「この間合いならドライブをしてくるのか」

「このくらい正中をずらしたら、こっちを抜いてくるのか」

っていうのを試しながら、

それぞれのデータをフォルダー分けして、

そのフォルダーのデータをもとに癖を見抜く。

 

言葉にするとこんな感じらしいです。

 

 

で、結果、相手が一番嫌な間合いで守れて、

相手を行かせたい方向に行かせることができるとか。

(詳しくは通信講座「力では到達できない世界」で解説されています)

 

 

僕はスキルをずっと練習してました。

 

実際にアメリカのトレーナーから学んだとかないので「そんなんでスキルとか語るな」って言われるかもしれませんが、

ここでいうスキルというのは、僕が体験してきた「知識」としての枠組み、NBA選手の1対1の真似とかドリブルスキルの練習とかです。

 

対人での1対1もめちゃくちゃやりました。

僕は双子なので中学生の頃からずっとやっていて、

100点ゲームの1対1とかもやったくらいの1対1好きです。

 

でも、どうしても自分が練習をしてきた枠組みで1対1をしてました。

 

当然と言えば当然なんですが、

それで上手くいくときももちろんあったけど、

でも、もうその枠組みじゃ勝てない相手が出てきてしまったんです。

 

武学籠球の慎さんです。

 

慎さんの言葉って、胡散臭く感じたりする人もいると思います。

 

という僕自身、慎さんを最初に知った時は、

「面白い人がいるんだなぁ。古武術ってなんか聞いたことあるけど、本当に使えるのかな?」

くらいにしか思っていませんでした。

 

正直、今回の崩壊を感じるまでも、

100%素直に受け取れていたかというと疑問です。

 

本質ってのは常にシンプル。

 

たとえば、イチローが

「特別なことをするためには、普段の自分でいられることが大事です。」

と言ってるんですが、これって文の意味は理解できますよね。

でも、その中に含まれる情報量を全て受け取ることはできません。

 

この文章としての意味は理解できるけど、

これを語っているのが「イチロー」という人間だから、

この文章の中には、イチローが経験してきた膨大な量の情報が凝縮されています。

 

言葉だけを聞いたら、「平常心が大事なんだなぁ」くらいですが、

実際、それはイチローが伝えたい情報の100分の1も理解できていないかもしれません。

 

 

本質というのはそういうものです。

 

だいたい、凄く遠回りとかをしてようやく気づけるもので、

僕の場合は、色んな練習をして知識を学んできて、遠回りをして、

やっと「本質」というようなとてもシンプルなことに気づけてきました。

(「気づけた」と言ってしまったら気づけていないことになりそうですが)

 

「他人のリズムを真似するんじゃなくて、自分のリズムを作ること」

 

そんなシンプルな本質に、

今、ようやく気づけてきてます。

 

ニュートラルであることとかも一緒。

 

イチローが「普段通り」と言っているのは、

慎さんが「ニュートラルを維持する」と言っているのと似てます。

 

結局、本質は最終的には一つになります。

 

でも、イチローと慎さんが言っている言葉は、

本質的には似ているけど、含まれる情報量は当然違います。

 

 

僕は知識を学んでNBA選手の真似をしてスキル練習をして、ようやく本質に気づけてきたけど、

慎さんの場合は最初から本質を追及していて、NBA選手の真似もしないしスキルトレーニングは一切してきてません。

 

じゃあ、どっちが正しいのか?

 

っていうと、

どちらが正しいとかないですね。

 

 

僕は僕で遠回りをしたからこそ、

昔の僕みたいに、NBA選手の真似をしている人の気持ちがわかるし、

スキルトレーニングをやっている人の良さとか気持ちもわかります。

 

慎さんの場合は、

本質を追求し続けているので、

最初から本質を伝えていけます。

 

どっちのアプローチだとしても、最終的に本質にたどり着く。

 

 

ちなみにこの感覚は、

『鋼の錬金術師』の中に出てくる、

「一は全、全は一」

っていう有名な言葉に通じます。

 

何事も本質を追及していけば一つに繋がる。

 

「全ての道はローマに通じる」

って言葉を聞いたことがあるかもしれませんがあれと同じですね。

 

まぁそれはいいや。

 

 

今回、慎さんの「本気」を見せられて、絶望しました。

 

正直、まったく守れないし、攻めれなかったです。

 

で、こう思ってしまったんです。

「ああ、もう無理だ。一生勝てる気がしない」

 

それを思わずつぶやいたら、

「自分で無理だと思ったら無理やん(笑)」

とツッコミを入れられる始末。

 

でも、ほんと、もう無理だなって思いました。

 

そもそも動きの質とかに差があるのに、

慎さんは日に日に身体が進化していくから、

自分がいくら頑張っても、その差は埋まらないなって。

 

 

で、慎さんもそれを感じていて、

「まぁ無理なんすよ、指数関数的に進化しているから一生追いつけないんすよ(笑)俺も師匠には一生追いつけないし、その師匠にも一生追いつけない師匠がいるのが、武術っていう世界。でも、だからこそ、一生稽古する意味があるよな。それに、武学っていうのを自分の何かと掛け合わせたら、それが進化ですよ。1対1だけがバスケじゃないし、武学と情報発信を掛け合わせるとか、そういう風に自分独自の世界を創ってったら、どんどん世界広がるやん。面白いやんって。」

「正しい姿勢で禮(礼)と立つことをしっかり継続したら、こんだけ身体が変わるんだから、これ、5年、10年って続けてみ?どんな風になってるか、もう楽しみでしかないでしょ。」

と正直に現実を言ってくれつつ、

自分の価値を見つける道も見せてくれました。

 

1対1の時は「ああ、もう無理だ。一生勝てない、バスケつまんない、やめたい」ってなっていたけど、

そのあと、ちゃんとフォローしてくれるところがさすがは師匠という感じですね(笑)

 

 

 

で、ようやく我に返りました。

 

「1対1」という枠組みでは、もう慎さんには勝てない。

それは今回、悔しいけど悲しいけど、わかってしまった…気がします。

(あくまで「気がします」に留めておきたい。笑)

 

慎さんが稽古を止めない限り、追いつけないですね。

まぁ止めないので追いつけないです。

 

でも、「1対1」に負けても、

「5対5」なら勝てるかもしれないし、

そもそも慎さんと同じになる必要はない。

そこに勝ち負けすら存在していないんだとも思います。

 

他人と比較せず、自分の世界観を作るべきだなと。

 

 

まぁ上手くなりたいですけどね(笑)

負けて悔しいと感じないのも、それはそれでスポーツの楽しさを感じられてないだろうし、

そこの気持ちもゼロになっているというわけではありません。

この文章で、そういう勝敗を競うことを否定しているわけでもありません。


慎さんが伝えているバスケは、

僕がプロの世界に進もうとしたとき、自分の身体や能力では筋トレだけでは限界があると思って、

古武術(そのあとは武学)の道に進んでいったらたどり着いたバスケなので、もっともっと動きを高めていきたいですね。

 

プロ選手と1対1をして相手は手を抜いているのに、あっという間に30対4くらいになってしまう。

身体で押し切られるし、「落ちるのを祈るのみ」と離して守っても、圧倒的シュート力でほぼ入れられる。

あの時も、お手上げ状態でした。

「このまま同じようにやっていても一生追いつけない」

と思って、武術を学ぶ道に進みました。

 

でも、その世界でも圧倒されてしまった。

 

でも、これは清々しい体験です。

こんだけ見せつけられると笑えてきます。

 

「ああ、バスケってこんなに面白いのか」

って。

 

ほんと、終わりがなくて面白いんです。

 

 

「これを5年、10年って続けてみ?」

と帰りの車の中で言われたけど、

ほんと、これから先が楽しみでしないです。

 

練習量とか年齢とか一切関係ない。

 

こんな世界を知れて、

この世界が広すぎて最初は崩壊した自分を認められず、立ちすくんでしまったけど、

それだけ広い世界を知れたことは、本当に良かったなと思います。

 

 

もし、この世界を知らずにいたら、

バスケを諦めて辞めているか、

ただ闇雲に限界を追及しているか、

自分よりも下の人を作って満足感に浸っているか、

そんな風なバスケ人生もあったのかなと思います。

 

 

とはいえ、

「武学籠球が全てだから他はダメ」

とかは僕も慎さんも全然思ってないです。

 

ただ、この世界観を一度体験するのは大事だなと思います。

 

2500年前から伝わる本質が凝縮されているから、

いわば、究極の抽象的な原理原則が詰まっているので、

それを知ったら、後はいくらでも応用ができるからです。

 

まぁ数学で言うと、全ての公式を一つにまとめる更に上位にある公式みたいな感じ。

 

スキルトレーニングや筋トレを極める分野があるからこそ、

慎さんバスケというスキルと筋トレをしないバスケにも価値が生まれるわけで、

結局は、その二つの世界に良い悪いはなくて、同じバスケを高める仲間ってことですね。

 

どちらかを強制するのはおかしなことで、

選択肢を与えて喧嘩しない道を示すのが大事。

 

そうやって、最終的に、

「バスケットボール」という枠組みが広がって、

バスケに終わりがなくなったら方法なんてなんでもいいですね。

 

 

そうそう、ディフェンスをしているときはどういう感じかっていうのは、

動画を見てもらえたらわかると思うので、動画を載せておきますね今回の。

まぁもう守れないんですよ。笑

 

やる気なくなってしまうくらい、

どっちにくるかわからなくなるんですよ。

 

「抜くぞ!」とかないし、

リズムが一定ではないし、

あえて軸を消すとかやってくるし、

踏んばらないから一歩目に反応できないし、

外からのシュートもあるし反応できない速さがあるし。

 

なんか、ただの絶賛になってますが、

とにかく、普通の人とは違いすぎて、

身体が反応できないって感じな気がします。

 

もう言葉とかじゃないですねこれは。

 

「ディフェンス悪すぎだろw」と言われても仕方ないですが、

自分でも気づいたらいつもこういう状態になっちゃうんですよね。

 

 

「本氣でやりすぎて彼の心意体を崩壊させてしまった」

と書かれてますが、まさにその通りすぎます。

 

でも、その崩壊があって新しい自分になれました。

 

やっぱり、人は何かしらの崩壊を経験したときに一番進化できるものですね。

むしろ、そういう挫折というか価値観の崩壊みたいなものがないと新しいものは入ってこない。

 

今回は、「新しいもの」が入ってきたわけではなくて、

今までの凝り固まった知識や価値観を一度ゴミ箱に入れて、

ゼロの状態、バスケを始めた初日に戻ったという感じですけどね。

 

新しい自分とはゼロからのスタート。

 

 

これからも「NBA」については記事にしていきます。

 

僕がもともと発信を始めたのは「NBA」がきっかけだし、

「NBA選手の凄さ」に気づけて、単純な1対1以外の楽しさをNBAから学べたから、

今までバスケをして来れて、発信をして来れて、今回の崩壊を経験できたわけなので。

 

 

それにしても、今回は、

ディフェンスもオフェンスも完敗で、

バスケの気力すら吸い取られてしまいそうでした。

 

でも、そんなバスケを体験できるのは幸せなことですね。

 

もう不思議でしかないけど、

守れないし、攻めれないんですよね。

 

 

今回の崩壊を体験して、色々なことがわかりました。

 

あとはやるのみ。

 

5年後、10年後が楽しみでしかないし、

1対1や動きの質を一生高めていきたいし、

「1対1」「NBA」「スキル」という枠組みから、

いつでも離れられて、いつでも戻れる自分でいたい。

 

 

今までバスケに費やしてきた膨大な時間は、この日のためにあったんじゃないかと思えるくらい、

自分の中の知識や価値観が崩壊して、そして、バスケを始めた時の少年に戻れた貴重な一日でした。

 

 

 

PS.

今回の崩壊からの復活した感じ、

ワンピースのジンベエの言葉を思い出しました。

崩壊したときは、まさにこのルフィ状態でした。

自分に残っているもの。

 

それが自分の価値になるんだな

ということを再確認できました。

 

やっぱり、こういう崩壊があってこその進化ですね。

むしろ、こういう崩壊がなかったら、

何も変化のない日常が過ぎていくだけなので、

ある意味、こういう崩壊を経験しないとですね。

 

情報発信者として、

良い意味での「変化のきっかけ」

を、これからも発信していきたいなと思います。

 

 

バスケやめずに続けてきて良かった。

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