おはようございます。

YAMATOの原田です。

現在、バスケットボールの発信「大和籠球」と、
「和導事業」の案内人をしています。


今回のメールは、木曜日から始まった
指導者の在り方を磨く「和導」の事業について。

・礼の習慣
・呼吸と姿勢の技法
・志を立てる
・選手の主体性を引き出す在り方
・選手に言葉を届けるために必要なこと
・支配と依存を生み出す構造
・心意体の統一

など

 

「和」を元にした「導き」について、
まだ世界でどこにもない新しい体系を創りました。

いや、今、”創っている最中”です。

 

僕らが今伝えているのは、まだ未完成のもの。

 

僕らが10年近く実践してきた「和(武)」を元に、
今の僕らの全ての知識と経験を元に体系化させました。

 

これから、「和導」の道を歩む同志と共に、より良いものを創っていきます。

 


指導者、人としての「在り方」を磨く道。

 

「和導開門(公式メール講座)」は、今日まで門を開くことができます。

https://utage-system.com/page/J6JjQXle6um5

 

 

 

さて、タイトルにある話について。

 


中学生の頃、僕には”夢”がありました。
 
「アメリカに行くこと」です。 

 
 
当時の僕にとって、「日本」は窮屈で、退屈で、”ダサい”場所でした。

 
テレビで見るNBA選手たち。

身体能力が高く、何をしてもカッコいい。
 
 
それに比べて、日本人は身体も小さいし、自己主張もしない。

 

「アメリカに行けば、自分は大きくなれる」
「ここではないどこかに行けば、何者かになれる」

本気でそう信じていました。


もっと直接的な言葉を使うなら、
「アメリカ人に生まれたかった」
とさえ、思っていたのです。

「国籍」というラベルだけで、勝手に人の価値を決めて。

それは裏を返せば、
「自分には価値がない」
という、強い自己否定でした。

当時の僕は、本当にこう思っていました。


その価値観は、バスケ以外の面まで広がっていました。
 

「日本人は、物事を曖昧にするからダメなんだ」

「アメリカ人のように、YesかNoか、自己主張をはっきりさせるべきだ」
 
 
曖昧さは「悪」であり、
明確な自己主張こそが「正義」だと。

自分の意見を言わない日本人の気質が本当に嫌だったし、
その文化の中にいる自分も嫌いでした。
 


 
外に答えを求めた先に何があったのか。

 

 

 

・・・自分が分からなくなりました。

 

外の世界は魅力的でした。
 
カッコいいし、憧れがある。


でも、それを見れば見るほど、
選択肢は増えても自分は分からない。


「人生の迷子」になってしまったのです。

 
 
でも、 それから時が経ち、

僕は「和」の世界に出会いました。


 
そして、今まで自分が否定していた「日本」には、
先人たちが残してくれた素晴らしい”叡智(えいち)”があることを知りました。

 

初めて知ることばかり、いや、”再発見”することばかりでした。

 

普段使っている言葉、
さりげなくやっている所作、

そのすべてに”深い意味”があることに気づき、
僕の価値観は大きく変わりました。

 

そして、最も衝撃を受けた言葉。


「自分で志を立てて、自分で自分の人生を創るんです」


和の本質が詰まった「武」を伝承している師匠から、そう言われて、
まさに頭に雷が落ちたかのような感覚でした。

 
僕は、何も知らなかったのです。

身の回りに素晴らしいものが既にあることを。


「自分自身(身体)」の中に、
自分の進むべき道があることに。
 
 
 
確かに、アメリカ的な自己主張は素晴らしい。

それは、自分を定義する「明確化」の力であり、
個を確立するために、言葉を伝えるために欠かせない要素です。

 

でも、僕が捨てようとしていた日本の「曖昧さ」。

これは、単なる優柔不断ではありませんでした。

それは「間(ま)」を大切にする価値観であり、
あえて全てを語らない「引き算の美学」だったのです。


指導の現場においてもこれは大切です。

 
指導者が全てを言葉にし、手取り足取り教え、
正解を突きつけてしまえば、選手はどうなるか?  

迷いはなくなりますが、同時に「思考」も止まります。


もちろん、それが必要な教育段階の選手もいます。

そういうリーダーの明確な言葉が必要な場面もあります。
 

でも、それが強すぎると、
選手の主体性と個性は失われます。

支配と依存の関係になってしまいます。

 
日本人が大切にしてきた「間」とは、
相手の中に創造を生み出す「意図的な余白」です。


あえて全てを言わない。

「間」を意識して言葉を発する。


その「余白」があるからこそ、
選手は自ら考え、本音を漏らし、
創造性を発揮することができる。

そのことを僕はようやく知りました。


「曖昧にできる」ということは、
言葉の裏にある相手の想いを、汲み取れるということ。    

これは、高度なコミュニケーション能力だったのです。

※実際に海外の人たちからすると「日本語」の多くを語らない言語表現は習得が非常に難しいと言われます
 

  
僕は、自分の勝手な妄想で物事を「良い」「悪い」と分けていました。
 

アメリカ(明確化)が良くて、日本(曖昧さ)が悪い。

そうやって「分離」させて考えていたこと自体が、間違いだったのです。    


日本の「和」の中には、
指導、そして人生創造に必要な
大切な価値観がたくさんあります。  


外に答えを求め、海外の文化や新しいノウハウを追い求めていた僕は、
足元にある「先人が残してくれた素晴らしい知恵」に全く気付きませんでした。    


「自分」とは、自分自身のこと。

自分の経験、感情、感性。
 
それらを大切にし、自分で意味を見出すことで、
自分が進むべき道や志(人生の目的)を創ることができる。

 
外に答えを求めれば求めるほど、自分自身の中心から離れていきます。

当然、自分が何者なのか、分からなくなります。    

 

今のスポーツ界や教育現場も、似たような状況があると僕は感じています。  


海外由来のコーチング、最新の科学的トレーニング。

それらは確かに素晴らしいものです。

科学的であり、合理的です。  


でも、多くの人は「元々ある素晴らしいもの」を見落としています。

かつての僕がそうだったように。

 

僕らの身の回りには、既に素晴らしい知恵があります。

 

「志」
武士の心、武士道。美しく生きる道。 


「言霊」
言葉には魂が宿るという、言語感覚。  


「間」
何もない空間に意味を持たせる引き算の美学。  


「礼」
自分自身を整え、関わる人と場を整える秘伝。  


「呼吸」
息(自らの心)を整えることで、感情をコントロールする技法。



漢字一つひとつに深い意味が込められています。
 

これらは単なる概念や精神論ではありません。

身体で体感できることであり、
指導における軸を創り、感情を整え、
関わる人を導くための土台となるもの。

そして、日常のすべての人間関係、人生にも通じます。
 
 
 
誤解してほしくないのですが、

僕は
「日本が一番で、海外はダメだ」
と言いたいわけではありません。


僕たちが提唱する「和導」の「和」とは、「調和」のことでもあります。


海外の素晴らしい科学や技術も否定せず、
日本古来の精神性や叡智と「調和」させる。  

異なる価値観を排除するのではなく、合わせて、より良いものにする。  

それが、日本が大切にしてきた「和」です。  


だから、和導を学ぶことは、
「全て」を活かすことになります。    

 

 

ここで、一つ質問させてください。

あなたは、今の日本をどう感じていますか?


食事も美味しい。
財布を落としても返ってくる。
周りに気を遣って空気を読める。

素晴らしい自然と文化が残っている。

有難い環境の中に僕らはいます。

 
でも、戦争もない、
物質的には恵まれたこの国で、
若者の自殺率が世界一とも言われています。
 

生きる目的が見えない。

繋がりを感じられない。

自分が何者か分からない。  


僕は、このことにずっと問題意識があります。

なぜなら、僕自身がそうだったから。
 
 
これは、子どもたちだけの問題ではありません。
 
指導者も、大人たちも同じです。  
 
 
情報に溢れ、
正解が分からない社会の中で、
「在り方」の軸を失っている。  


だからこそ、伝えたいのです。  
 
 
「和を軸にした”在り方”を共に学びませんか?」
 

 
AIに聞けば、和の歴史や知識は教えてくれます。

YouTubeを見れば、日本の素晴らしさは学べます。

道場に行けば、武道は学べます。
 
 

でも、

・和の叡智×指導と人間関係の体系

は、「和導」以外にはありません。  


身体を通して体験し、日常の習慣にし、
一生使える「在り方」へと落とし込む。

それが、僕たちが創り上げた「和導」です。    

 

 

・・・大げさに聞こえるかもしれません。  


「今まで大した実績も残していないのに、何を偉そうに」

そう思う人もいるでしょう。  


その通りです。

僕には輝かしい実績はありません。

反論するつもりもありません。  



ただ、

 

これまで見てきた指導現場の問題点。

関わる指導者から聞いてきた現場の悩み。

今の子どもたちを導く難しさ。



それらを「和導」なら解決できると信じています。


僕自身、この「和導」を伝える人として、日々実践しているのですが、
確実に日常から、人生が変わっていることを実感しています。

だからこそ、伝えたいのです。


ここ最近も指導者の方と関わりますが、
「和導」の在り方、心意体の整え方を伝えたところ、

・怒りの感情が落ち着いたり
・子どもたちの主体性が生まれたり
・自分の乱れを整える習慣が身に付いたり

そういった変化が現実的に起きています。
 
 
やり方をいくら学んでも、「在り方」が整っていないと選手に言葉は届きません。

言葉が届かなければ、空回りして、ストレスが溜まっていきます。

そのストレスは怒りとなって、選手の道を歪めてしまいます。



感情的になるのが悪いわけではありません。


感情があるのは人間だからこそだし、
感情を解放できるのもスポーツの良さです。

感情的になってしまうのは、勝ちたいから、勝たせたいから。

その想いが強いからこそだと思います。


だから、その想いを、きちんと選手に届けるために。

「和導」の道をぜひ学んでみてください。



Youtubeでも、SNSでも、「やり方」が溢れています。


情報の波に飲まれる現代において、

必要なのは「引き算の美学」。

「和」の在り方です。

 


もし、この文章が少しでも心に響いたなら、

もし、「これは今の自分のことだ」と感じたなら、

和導の門を叩いてください。  


今日まで、門を開くことができます。

 

◆和導開門(公式メール講座)
https://utage-system.com/page/J6JjQXle6um5

期限:12月14日(日)まで  

 
 
僕の過去のすべての経験、
今もっている知識を全て活かして、

僕自身、指導者、人としての在り方を磨きます。


皆さんと共に。

 

 

 

追伸

最初に見せている写真は、大学2年生の冬にアメリカ(LA)に行った時の写真です。

「今行かないと一生行けないかもしれない…」カラオケ屋のバイトに向かう途中、ふとそう思い、勢いでチケットをとって一人で行きました。初めての海外、飛行機です。

アメリカに行って僕は初めて気づきました。自分が思っていた「アメリカ」は勝手な”妄想”であったこと。「アメリカ人」「日本人」という枠は、自分が勝手に作った区別であったこと。この10日間の旅で、たくさんの素敵な人に出会い、助けられ、自分で自分の行動を選択する大切さを教えられました。

 

一緒に写真に写っているのは、この日、一緒にバスケをしたMikeです。

英語が殆ど喋れなかった僕を優しくリードしてくれました。

アメリカに憧れていたあの頃の僕へ、今、手紙を書くような気持ちでこの文章を書きました。

 

人を既存のラベルや勝手な妄想で判断せず、「和」を大切に、関わる人との時間を大切にします。

 

 

◆和導開門(公式メール講座)
https://utage-system.com/page/J6JjQXle6um5

期限:12月14日(日)まで 

投稿者 原田毅

33歳。大学一年生の冬にNBA選手のスペーシングの凄さに気づいてから、NBAから戦術やバスケの本質を学ぶようになりました。その後、NBAの凄さを学ぶ中で「日本」について知らない自分がいることに気づき、武術の世界を学ぶようになり、今は武術をバスケに応用する考え方を学んでいます。現在もプレイヤーとしてプレーを続けながら、ネット上では通信講座などを運営しています。

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