6年経って『リアル』が別漫画になってしまった話。

こんばんは、原田です。

 

久々にブログ書こうと思います。

タイトルの通り、井上雄彦さんの漫画『リアル』について。

 

最近は、相変わらずコミュニティ内でメルマガを書いたり、

ひたすら自分たちの試合やNBA、Bリーグの「バックカット」のシーンを集めたり、

Youtubeの動画を編集したりして過ごしています。

 

ブログはブログで、文字で残していけるから好きだなぁって思います。

こちらではメルマガの講座でやっているような「体系化」っていうよりも、

日々思うことだったり、読んだ本や見た動画から学べたことを書いていこうかなと思います。

 

 

さて、リアル15巻。

 

ようやく出ましたね。

 

僕はこの漫画が好きで、井上雄彦さんが描いている『バガボンド』も好きで、

スラムダンクと合わせて、どちらも全巻持っています。

 

車いすバスケからスタートして、

野宮、高橋、その他のキャラクターたちの人生を

本当に「リアル」に描いているのがこの漫画。

 

今回、6年ぶりに新刊が出ました。

 

6年ぶりだったんですね。

そういう見出しとかコメントを見て知りました。

 

・・・ってことは、14巻を買ってから6年が経ったのかぁ。

 

 

皆さんは6年前何してましたか?

 

今が2021年だから、6年前は2015年。

今が29歳だから、6年前の自分は23歳。

 

僕は大学四年生ですね、なんと。

(浪人して大学に受かったので)

 

いろいろ思い出しますね。

 

 

で、僕はこの最新刊が販売されてから2ヶ月くらい経ってから買いました。

 

1月13日に買ったので、今から2週間くらい前ですね。

 

ただ、まだ読んでません。

 

6年前だから、もうストーリーを忘れていたので。

だから今、それを読み返しているんですけど、やっぱり面白いですね。

 

 

僕は漫画とか映画を観た後とかに、

よくレビューのページを見ることがあります。

 

自分以外の人はどういう感想を持っているのかなぁ?

っていうのが気になるし、レビューって結構面白いんですよね。

自分とぜんぜん違う感性の人がたくさんいるから。

 

 

今回の最新刊についても、とっても面白かったので紹介したいと思います。

(ネタバレしそうなやつ以外のレビューは全部見ました)

 

 

まずは批判的なコメントから。

 

そりゃ6年も空いたら批判したくなりますよね。

「うんうん、確かに。そうなってもしゃーないな」って感じでした。

 

 

 

 

 

「読者にとってのこの時間はリアルではない」

上手い表現ですね。笑

 

おっしゃる通り、確かに6年は長かった。

 

僕もストーリー覚えてなかったですが、

捨てる人もいるんだなぁって感じでした。

 

井上さんのもう一つの漫画『バガボンド』も、だいぶ休載が続いています。

 

あの漫画もなかなか深いというか、

人間らしい部分が描かれているもので、

しかも、自分が今バスケに応用している「武」という世界についての話だったりするので、

けっこう自分に当てはめることが多くて、面白くて、あの漫画もすごい好きです。

(漫画だから本当の宮本武蔵とは違う面が多いみたいですが、一つの漫画として面白い)

 

 

で、良い評価を見てみるとこんな感じです。

 

僕、まだ15巻を読んでませんが、

おそらく僕もこういう感想になると思います。

 

以前、バガボンドを書いているドキュメンタリーが放送されていて、それを見ていたんですけど、

やっぱり新しいストーリーを描くって、簡単なことじゃないんだろうなぁと思いました。

 

そうとう、頭を悩ませて書いているんだなぁって。

 

だって、漫画(映画とかもだけど)って、

白紙のところに描いていくわけじゃないですか。

 

やばいですよね。

 

キャラクターも、コマ割りも、ストーリーも、セリフも、

何一つ決まっていない状態から、あれだけのものを描くって凄いです。

 

 

僕は情報発信をしているということもあって、

漫画家や映画監督、経営者、シェフ、何か新しいものを作っている人すべてを

「自分の先輩」っていう風に思っています。

 

地元で行きつけの喫茶店にいる、美味しい定食を作ってくれるおじちゃんおばあちゃんのことも。

 

この昔ながらの焼き目が付いたオムライス。

 

1年以上ぶりにこの前行きましたが、

あいかわらず最高の味と雰囲気でした。

 

 

ゼロから何か新しいことを作る人たちが凄いなぁと思うし、

自分も小さな存在だけど、何かをつくって届けるという意味では、

漫画家や映画監督の方たちと同じようなことをしていると思っています。

 

同じ土俵にいるわけじゃないけど、

とにかく、そういう人たちのことを見ると

自分も応援したくなるし、がんばろうって思えます。

 

特に最近は料理系の動画ばっかり見ているんですけどね。笑

 

これも鬼時にしたいですが、

いいですよほんと、料理の世界は。

 

正解がないし、アートだし、愛情しかないし。

 

バスケもこういう風になったらいいなぁ

って思ったりしますね、料理のYoutubeを見ていると。

 

 

そういう気持ちもあって、井上さんが描いている漫画を見るのは好きだし、ずっと応援しています。

「6年も待たせやがって!」なんて1ミリも思わないけど、そう思う人もいますよね世の中。

 

 

 

僕はこの漫画を読み返して思ったんです。

 

「なんか、6年前とは別の漫画みたいだな」

って。

 

漫画自体が変わっているわけじゃないけど、

この6年間でいろいろ自分が変わったんだなぁって。

 

より登場人物たちの人生に共感できるようになったというか。

 

感情移入がしやすくなったってやつですかね。

特に、この漫画は本当にリアルすぎるところがあるのでなおさら。

 

 

で、一つ、面白いレビューを紹介します。

 

ながーーーいレビューなので全部読めない人用に、ポイントとなるところに線を引きました。

もし時間があって全部読める人は全部読んでみてください。

(この人、レビュー欄によくこんだけ書けるなぁ)

 

[長いので面倒くさい人はスルーしてもいいです]
だいぶ久しぶりの新刊。宮本武蔵のほうは依然休載中。人気作が休載だらけになるのはよくあるがプロといったって健康状態やらで描けない時は描けないのだろうからあまりとやかく言いたくはないが、この作者の場合、2作品とも話を何処に持っていけば答えが出せるのかよく解らずに連載が遅延しているのかなと思った。

どちらの作品も、シリアスで重いテーマを描いていても主人公がイケメンなあたりが”井上雄彦のリアル”という感じだなあーと連載初期の当時に思ったものである。中学時代の戸川は引きこもって髪が伸びてもイケメンで美少女の安積は待ち続けてくれて、生き死にがどうこう言っても武蔵はイケメンでおつうは美人、っていう前提ありき。随分歪んだものの見方だが若気の至りという事で。

リアルという漫画は個人的に「裏スラムダンク」だと思って読んでいた。スラムダンクがスルーした部分を描くという。1巻の感想でも同じようなこと書いた気がするが。
例えばスプリンターとして才能に溢れていたが病によってその道を閉ざされた戸川はスラムダンクの最終回以降でリハビリが成功しなかった桜木のIFの姿ようである、とか。戸川は自分の体の異変を半ば見て見ぬ振りをしながら部活を続けていたが、山王戦で負った負傷が選手生命に関わると言われても出場を強行した桜木と同じようなものではないかと。
連載の1話目辺りで高校の女性教師がバスケを辞めなければこんな事にはならなかったと忸怩たる思いを伺わせていたが、不良の野宮は安西先生のような指導者も赤木や小暮のように真剣に怒ってくれる仲間も居なかった三井のようでもあり、父親と共有していたバスケの楽しさを家庭の事情で継続することが出来なかった高橋沢北と父親の関係と重なるものがある。
回想で野宮が高橋に練習をもうちょっと付き合ってくれというとそっけなく断られるシーンがあるが、山王戦の赤木の回想にて、彼の全国制覇を嘲笑う元バスケ部員から夢を押し付けるな、自分は普通の高校生、お前と部活をするのは重い、と言われた赤木が体育館に向かうとそこに小暮がひとりで練習しているが、あそこに小暮が居なければ三井を失い、宮城、流川、桜木が来るまで彼のバスケへの想いを維持出来たかは怪しいものである…と考えるとインハイでは選手としての見せ場はほぼ無いが、赤木にとってもっとも重要な存在なのは小暮ではないのか…という余談はさておき、要するに野宮にしろ、高橋にしろ、バスケに情熱を注ぎ続ける場が無かった、という事である。
一目惚れした女子に好かれたい一心でバスケが好きだと嘘をついた桜木は実は谷沢を超える逸材だった、というのはある種の少年漫画的ご都合主義であり、そのような才気がなければスラムダンク連載初期の地道な練習はなんら実を結ぶものでもないという事になる。初期の回想で野宮がお風呂でじゃぶじゃぶやってるがあれが実を結ばない地道な努力であるので見ていると切ないのである。
上でちらっと触れた赤木とバスケをやるのは重いという少年の考えも別におかしいものだとも思えない。高校の部活なんてただ楽しいだけでもいいではないかと。放課後ティータイムは高校卒業後に進学せずにバンドを始めるわけではないのである。
つまり才能あふれる選手たちがチームとして一致団結し、最強の山王高校に20点差を覆して勝利し、延々伏線張ってた桜木と流川の関係が最終回の冒頭の見開きハイタッチに結実するというバスケ漫画の王道的カタルシスから離れた場所にあるのが本作なのではないかという見立てである。
序盤で病院のテレビに映るアニメ版スラムダンクと思しきものを高橋が揶揄するのは原作者からのアニメ版への批判ではなくて、スラムダンク的物語からはじき出された者たちの物語なのだという暗喩なのだと思うんである。実際、アニメを観ていた子どもたちは高橋を冷ややかな目でみている。

プロを目指すと自分の道を見出そうとするも本当に才能ある選手との差に打ちのめされ、過去に自分を救ってくれたバスケに感謝と別れを述べた筈の野宮はこの巻にて悔しさは失われていなかったとまたそこに縋り直す事になるので前巻までのストーリーが無駄足のように見えなくもないが、単純に物事を割り切って前に進めるような少年たちではないからこそもがいているのであり、反駁の如き苦悩でグルグルと回るのであるが、野宮にはきちんとバスケの才能があって独学ではなく専門的な指導のもとでしっかりと鍛えればプロになるだけの実力があってその目標は達成できる可能性はある、というのがこの巻で示唆されるわけだが、それは言ってしまえばスラムダンクの桜木と流川のハイタッチのような瞬間に遠回りしただけの事ではないのか、スラムダンクの裏側のようなものを描きつつ、結局は同じ場所にたどり着くしかないのか、目抜き通りの華やかさと対照的な路地裏の苦悩を描いても最後には巡り巡って目抜き通りに出てくるだけでいいのか、持たざるものだからこそ手にできるものがあるのではないか、とか色々考えた結果、着地点を見失ったのが本作ではないかと思うのである。

で、別に悩まなくてもそれでいいんじゃないかなあ、と思うのである。野宮がここから頑張ってプロになり漫画家の彼女と付き合うようになって、戸川はパラリンピックで金メダルを取り安積と結ばれ、高橋は3人組の仲間や家族や恋人に囲まれながらローポインターとして活躍するようになり、野宮と高橋も和解するというハッピーエンドでいいんじゃないかなあと。それで特に問題があるとは思わんのであるが。

路地裏の苦悩、と書くのはあまり表現がよろしくないと自分でも思ったが、この巻での野宮と高橋の回想を見ていて気になったのは高校時代に野宮とつるんでいた2人の姿が見当たらないと言うことである。出てきたっけ。確認のために読み直してみたけども見当たらなかった。たぶん出ていたとしても端っこに居るくらいだろう。彼らは野宮が退学したあとで高橋達からいじめを受ける羽目になるが、高橋が父親との関係にトラウマを抱えていようが、彼らからすればいじめを受けるのは何のいわれもない話である。8巻だったかで、父親との対話で高橋が父親から愛されなかったというふうに号泣するシーンがあったが、あのシーンで感動せずに、君がどんな家庭環境にあろうとあの2人がいじめられる正当性は皆無でしょうよと高橋にいじめられた2人の顔が過るのが、なんだかんだで主人公はイケメンなんだねと突っ込む自分のような歪んだものの見方をしてしまう読者なのである。…蛇足だが第1話時点ではテンプレ的美少女だった漫画家の彼女、いつの間にか太っていたので、作者本人も案外そういうとこ気にしたいたのかもしれない…と自己弁護のような推測をしてみたり。

高橋は色んな人に支えられてもがきながらも前を向いたが、あの2人はどうなったのだろう。特に最初に暴力沙汰をおこした彼。なんかフォローあったっけ。無いよね。あの一件がトラウマになって悲惨な人生送ることになったらどうするの。「裏スラムダンク」と書いたが、それでもまだこの作者には見えていないものがあるのではないかという話である。日の当たらないところを照らしてみたつもりでも本当の日陰者に作者が目を向けるわけではないとでもいうか。
そのあたりの正解を出すのはとても難しく、だから世の中、皆いろいろ苦しんでいる訳で、3作も大ヒット漫画を生み出した売れっ子作家に答えが出せるなら誰も苦労はしないのである。よって、上のようなハッピーエンドで何ら問題はなく、武蔵もさっさと巌流島に行って小次郎と戦えばいいのである。チャンバラ漫画でグルグル悩んでもしょうがないのである。チャンバラ漫画に求めるのはチャンバラの面白さなのである。
武蔵の3巻で自分の漫画はただの娯楽だと言ってたがこの作者に限った話でもなく漫画は基本娯楽であるべきであり、この作者がグルグル悩んでも大した話が描けないのは武蔵の農業編でよくわかっているので、過去の発言通りにエンタメに立ち返ってシンプルなストーリーでハッピーエンドに持ってくのが本作にとっては一番だと思うのである。この巻ではその兆しがみられたのが良かった。武蔵と小次郎もさっさと巌流島に行って斬りあえばいいのである。

…レビューの頭で書いた「休載だらけの人気漫画」、そのいくつかは本作や武蔵も含め、以前は自宅の本棚に単行本が並んでいたが今では手元には無く、新古書店送りになっている。休載だらけになるというのはつまりそういう事である。新刊のまるで出ない漫画の単行本の既刊が本棚に巻数順に並んでいるのを眺めて虚しくなり、それが肥大するほどにその作品へのモチベは失われていき、やがて本棚から姿を消すのである。そんな読者にとって電子書籍は非常に有り難い。作者の事情や都合はあるだろうから無理して描けというつもりはないが、読者に待ち続ける義務があるわけでもなく、世の中には普通に連載していて面白い漫画は山のようにあるので、必然的に思い入れは薄れていく。それでも”待つ”だけの理由と価値があると思えるなら自分はいくらでも待つという気持ちであり、実際、とある休載だらけ漫画1作だけは未完でも構わないから待つという覚悟を決めている。が、この漫画にそれほどの思い入れはない。辛めな意見を述べるのであれば着地点を見失ったというのは作者の限界の露呈でもあり、この新刊に斬新なドラマがあるのかと言われれば疑問である。描かずに引っ張ったところでそれ相応の結末が待っている訳でもないだろう。だから、繰り返し、本作はハッピーエンドに持っていって、武蔵と小次郎がさっさと斬り合うべきなのである。

…あとは凄くどーでもいい話なんだけどもある時期からの井上漫画で女性キャラがちょくちょくアヒル口みたいになるのムカつくので止めてほしい。

 

 

・・・ということで、

これも「なるほどなぁ」と思いました。

 

僕は漫画とか映画を分析して、

「こういう意味があるんじゃないか」

みたいなのを考えるのが好きだったりするので、

レビューを書いたりしたこともありましたが、

 

基本は、その漫画とか映画のストーリーをただ楽しみます。

 

色んな人のレビューを見るのが好きですけど、

やっぱり、その瞬間は全力で楽しんだ方が楽しい。

 

というか、そんなこと考えられないくらい見入ってしまうからすごいですよね、漫画とか映画って。

 

まぁ理論的に映画とか漫画のレビューをするのは男がしがちなことで、

女の人にはそういうのに興味がないから語る場をわきまえる必要があったりしますよね(笑)

 

 

それで、この人が言っている

「リアルは裏スラムダンクのようなもの」

っていうのは、確かになぁって感じました。

 

読めばわかるし、そういわれればそうですね。

 

 

だからこそ、より感情移入しやすいのかなぁって思いました。

今の自分に当てはまることが結構あるから、本当に凄いこの漫画は。

 

「いや、漫画なんて娯楽なんだからリアルを描く必要なんてないでしょ」

っていう人もいると思います。

 

僕も昔は、、

「漫画とか映画って、空想の話だから見ても得しないでしょ」

って思っていました。

 

超現実主義者というか。

 

でも今は、漫画とか映画みたいに

「新しいものを創り出すエンターテイメント」

を感じるのがすごく好きです。

 

まぁよく「バスケしか興味がなさそう」って言われますけどね(笑)

 

漫画や映画の中にある世界が本当かどうかはどうでもよくて、

そういう新しい価値、面白さを作っている人が凄いなぁって思うし、

自分も面白いものを創っていけるような人になりたいなぁって思います。

 

 

実際、今僕がやっていることは、勝手に漫画や映画みたいなものだと思うことがあります。

 

まだ誰も作っていないものを、白紙の状態から作るみたいなところがあるし、

「別になくても死なないし困らないけど、あったら楽しくなるし、面白い世の中になる」

っていうものだと思っているからです。

 

スポーツ自体が衣食住と比べたらなくても死ぬようなものじゃないけど、

僕もそうですけど、多くの人にとってはなかったら人生つまらないっていうものだと思います。

 

 

そうそう、僕はリアルを読み返してたら泣けてきました。

 

たしか、一回目を読んだとき、

今から数年前は泣いていなかった思うんだけど、

今回、15巻を読む前に1巻から読み返していたら泣けました。

 

昔は「ワンピースで泣くってどういうこと??」って思っていたんですけどね。

 

普段から感情表現が豊かな方じゃ決してないんですが、

高橋のストーリーを読み返していたら、なんだかすごくグッときましたね。

 

あの漫画って、

「人生とは?」

みたいなことを突き付けてくるような漫画なので、

軽い漫画とかと比べるとちょっと重たいところがあります。

 

なので今の子たちとかあまり好きじゃないかもですね。

(『鬼滅の刃』も面白いし泣けるところもあります)

 

僕は昨年、身近で大切な人が病気で亡くなりました。

いまだに実感が湧かないというか嘘みたいな感覚なんですけど、

でも、ふとした時にやっぱり思い出すし、自分の人生を大切に生きようって思わされます。

 

1年前の今日は、コービーが亡くなりました。

 

あの日の朝のことも一生忘れられないだろうし、

この日が来るたびに、死について考えさせられるだろうなって思います。

 

死について考えるってことは、人生について考えることとイコールですよね。

 

決してそれはネガティブなことではなくて、

「自分の人生をどういう風に使い切りたいか?」

というのを考えるきっかけになると僕は思っています。

 

ちなみに僕は最近、毎日のように考えます。

 

「自分の人生をどういう風に使い切ろうか」

「死んだときに、何を残しておきたいか」

みたいなことを。

 

別に暗い気持ちで考えているわけではないので、そこはご心配なく!

 

ただ、今ちょうどそういうタイミングなんですよね。

またきちんと報告はしますが、新しい道に進む分岐点にいるので。

 

 

 

そういえば、映画『鬼滅の刃』でも

「死生観」が大きなテーマになっていましたね。

 

今って、そういうのを考えることが多いんじゃないかなと思います。

 

コロナをきっかけに、自分の人生について考え直すきっかけがあった人もいるはず。

 

僕は4月くらいの記事で書いていますが、

コロナについては、

「今まで見えていなかった部分にスポットライトを当てているから、より見えるようになったものであって、今までも多くの人が肺炎や病気、交通事故なので命を落としている。僕も含め、今までそういうところを気にせず生きてきた人が多いけど、コロナはそれを誰の目から見えるように可視化した。仮に交通事故で亡くなる人を、今のコロナと同じように毎日報道して毎日気にしていたら、それだけ『交通事故が多い世の中だ』という空気が生まれて、車に乗る人は減るだろうし、今と同じように社会は変わっていくはず。1つのリスクをゼロにしようとしたら全体のリスクが上がってしまうということもある。

コロナは自分の情報の受け取り方を可視化し、今まで見ようとしていなかった部分を見えるようにしたもので、結果的に自分自身と向き合うきっかけになっている。今、コロナにスポットライトが当たっているのと同じくらい『より面白いことを作っている人』に焦点が当たれば、今のコロナと同じだけの情報が世の中に広がり、今のコロナと同じだけ世の中は変化していくはず。だから、僕らがやるべきことは、ネガティブなエネルギーをもって過ごしてネガティブな情報を受け取ったり発信するのではなく、より世の中が面白くなる情報を発信していくこと。それは人との会話でもそうだし、こういうSNSやブログ、Youtubeの発信でも同じ」

という風に思っています。

 

僕自身、コロナをきっかけにだいぶ変わりました。

(詳しくは3月あたりにちゃんと報告できると思います)

 

自分の人生についてよく考えるようになったし、

コロナで世の中の価値観や仕事も変わっていくのを感じ、

「じゃあ、自分はどういう価値を創っていけるのか?自分は何がしたいのか?」

っていうことを考えることが本当に増えました。

 

もちろん、コロナが危険じゃないとかそういう話をしたいわけではなく、

ただ、結果として自分の人生を見つめ直す大きなきっかけになったということです。

 

 

『リアル』を読んでいると、

おそらく、誰もが自分の人生について考えると思いますが、

じゃあ自分の人生をどういう風に使い切りたいか?ってことですよね。

 

人によっては「ひたすら美味しいものを食べたい!」って人もいるだろうし、

「世界中の絶景を見てたい!」って人も、「死ぬまでゲームをずっとしてたい!」って人もいるはず。

大事な人とずっと仲良く暮らしていたいっていう人もいるだろうし、どれも素晴らしいことですね。

 

ただ、人生について考える時、

「夢と志の違い」というのを考えるのが大事です。

 

という僕自身、昔は「夢」しか知らなかったからこそ、そう思います

 

夢って、言葉にすると「自分がしたいことをやる」っていう感じですかね。

それが誰かのためになっているかとかどうでもよくて、ただただ自分がしたいことをする。

 

結果、それが誰かのためになっていたら良いけど、

多くの人にとっては最初に持つ夢、学校とか安い自己啓発本とかSNSの広告でイメージが付けられる「夢」って、

「ただ、自分の欲望を満たすためだけのもの」だったりします。

 

僕だったら「アメリカに行ってビッグになりたい」みたいな夢を持っていました。

ビッグって何?どういう状態?ビッグになって何がしたいの?ってツッコミされそうですが、中学生の頃はそんな感じでした。

 

じゃあ、志は?というと、

「自分にしかできないことで誰かの役に立つこと」

です。

 

それが何から作られるかというと、自分のこれまでの人生です。

 

「人生に無駄なことは一つもない」みたいなフレーズがありますが、

なんであんなことしたんだろう…なんであんな失敗したんだろう…って思えることも、

後から振り返ったら、「ああ、このことを気づかせるためだったのかな」って思えたりしますよね。

 

そういう経験を活かしたものが志です。

 

ただ自分の欲望を叶えるだけの夢とは、ちょっと違いますよね。

(世の中には「夢=志」みたいになっている人もいます)

 

この志は、映画『鬼滅の刃』だと「責務」っていう言葉で表現されていて(煉獄さんの台詞)、

漫画『リアル』の中では、もう全体のストーリーとして「お前の生きる目的はなんだ?」みたいなことを突き付けられます。

 

 

付きつけられるって言うと、

なんだかすごく重たい感じがしますが、

主人公たちがそこと向き合っているっていう感じです。

 

 

で、僕が思うに一番最強なのは、

 

「自分がやりたいと思うことを全力で楽しんでいたら、

結果として、誰かの人の役に立てた」

 

っていう状態だと思います。

 

 

ただこれは、Youtuberの「好きなことを仕事にする」と似ているようでちょっと違います。

あれはちょっと罠というか、良くない表現、勘違いしてしまう表現だなぁと思っているんですけど、

僕は「自分が得意なことに没頭することで、結果それが誰かの役に立って仕事になる」っていうのがいいと思っています。

 

それが自然だし、これからの時代の生き方なのかなと思っています。

情報発信系のことも起業家の人とかからずっと学んでいるんですけど、そういうのを聞いていても思いますね。

 

それを自分が体現していきたいなと思います。

 

 

 

で、話がかなり脱線したりしましたが、

 

この記事で話したかったことは、

「自分の視点が変わったら、同じ漫画も全く別の漫画だと思える」

ということです。

 

6年間は確かに長かったけど、

その6年間の経験で自分がだいぶ変わったんだな

っていうのを、同じ漫画を読み返したらよ~くわかりました。

 

変わったのは自分の視点だけ。

 

僕はこういう

「数年経って読み返しても学びになるもの」

を作るのが好きです。

 

100年、200年前からずっと残っている本のように。

 

もちろん、今聞いてくれている人のためにやっているし、

今聞いてくれている人を大切にするというのを前提に、です。

 

これは「本」みたいな物に限らず、「人」でもいえることですよね。

それこそ、コービーの生き方とかも、バスケが続く限りずっと語られると思うんです。

100年後でもバスケがなくなっていなければ、コービーの言葉に感化される人はたくさんいるはず。

 

 

そういう、時間が経ってもなくならないもの。

見る人の視点次第で、いくらでも学びが深まるもの。

哲学書みたいな、偉人の生き方みたいな、そんなものを作るのが僕は好きです。

 

僕がそういうコービーみたいな偉大な人物だって言いたいわけじゃ決してありません。

 

別に僕が表に出なくてもぜんぜん良いと思っていて、

ただ、関わる人の面白い視点を引き出して残していきたい。

 

そういう気持ちがあります。

 

最近やっていることだったら、

「バックカットの体系化」という講座も

僕はバスケ仲間と深めたことを言語化したり動画にしてまとめていて、

そこに参加者の方の視点も加えて運営しているので、僕がメインではありません。

 

僕は「案内人」で「インタビュアー」で「編集者」っていう感覚です。

 

最近はYoutubeで動画をアップしていますが、

あれも、そういう気持ちで動画を作っています。

 

これについては別の記事で書きますが、

その瞬間の再生回数というのは気にしていなくて、

「数年後に見たとしても、学びになるような視点を体系化させる」

ということを目指してやっています。

 

僕自身、動画編集をすごく楽しんでいます。

 

結果、それが誰かの役に立っていると思っています。

(コミュニティのメンバーからそういう声を実際にもらっています)

 

だから僕にとって、あれは最高の仕事の一つです。

 

 

それは、今やっているメルマガのコミュニティでも一緒。

 

一つの物事を色んな人の視点を通して深めて、

同じ「バックカット」や「Princeton Offense」でも

見る角度によって違う学びを得られるようにしています。

 

それがすごく楽しいんですよね。

 

自分にはない視点を知れる時、

同じものを見ても視点次第で見え方が変わる時、

「ああ、面白いなぁ。これからもこういうのを作っていきたいなぁ」

って思います。

 

 

自分の人生の目的は何か?

死ぬまでに何をしたいか?

どういう風にしたら自分の人生を使いきれるか?

『鬼滅の刃』の煉獄さんがいう「責務」って何か?

 

っていうと、僕にとっては、

「関わる人の視点を引き出して、それを体系化させる」

ということです。

 

 

 

・・・と、その話はYoutubeについての記事でまたしようと思います。

 

長くなりましたが、

僕は今、『リアル』の15巻を読むのがすごく楽しみです。

 

ただ、今1巻から読み返していて

ようやく4巻を読み終えたくらいなので、

最新刊を読むのがいつになるかわからないけど。

 

でも、そんくらいゆっくり読み返すのもいいもんです。

 

自然とそのスピードになっちゃうっていう感じなんですけどね。

読もうと思えば1週間で読めるけど、でも読みたい時にじっくり読むのが一番だなぁって。

 

 

自分のリアルをちゃんと生きようと改めて思いました。

 

今日はコービーが亡くなって1年が経った日ですからなおさら。

3月あたりに良い報告ができるように自分のことをがんばろうと思います。

 

 

皆さんにとっての『リアル』は、どういうものですか?

 

是非、リアルを買って読んでみてくださいね。

漫画や映画、料理も、音楽も、すべて楽しんでいきたいなぁと思います。

 

またブログ更新しますね!

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