なぜYoutubeに広告を付けたくないのか?

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僕は大学二年生の頃から情報発信をしています。
なので、発信を始めて10年目になります。

 

元々、Twitterから発信を始めて、フォロワーさんがだんだん増えていきました。その後、ブログを始め、メルマガを使ってコミュニティを運営し、最近はYoutubeにも動画をアップするようになりました。

 

僕の発信を見てもらう上で、最近は
「Youtubeで動画を公開してるので見てみてください」
って紹介することが多いです。

 

最近は過去に有料コミュニティで公開していた動画もYoutubeに公開しているので、まずはYoutubeを見てもらったら僕の活動がわかると思うからです。

 

そうすると、大体こう聞かれます。

「Youtubeって、けっこう稼げるの?」

 

そう、聞かれた時に毎回僕はこう答えています。
「Youtubeには広告を付けないようにしているんですよ」

その理由をまとめてお伝えします。

 

なぜ、Youtubeに広告を付けたくないのか?

 

一人ひとりの出会いを大切にしたいから


Youtubeは、ある一定の基準(チャンネル登録者数1000人&総再生時間4000時間以上など)をクリアすると広告を付けられます。広告収入を得られる、という事です。

僕は数年前にこの基準はクリアしていますが、広告はあえて「OFF」という設定にしています(一部、過去の動画で広告がついているものがあるかもしれませんが、収益は1円も貰ったことがありません)。
動画編集にこれまで相当な時間を使ってきました。300個近く作ってきて、素材探しや再生確認も含めると1つの動画を作るのに動画時間の3~5倍は時間がかかるので(正確には数えられませんが)少なく見積もっても3000時間以上は使っています。でも、広告で稼ごうと思ったことは一度もありません。

 

なぜ、付けないのか。
なぜ、付けたくないのか。

 

それは、一人ひとりの出会いを大切にしたいからです。

 

仮に、広告を付けた場合、再生回数によって広告収入が得られるようになります(何回再生でどのくらい入るかなど全く知りません)。でも、もしそれをしたら、たぶん、こういう思考になると思うんですよね。

 

「今日は1000回”しか”再生されなかったなぁ…」

みたいな。

 

僕はこうなるのが嫌なので付けていません。


見てくれている人を「数字」として受け取りたくないんです。もちろん、どんなに良いものも人に認知されなかったら価値にはならないので、人に知ってもらう努力(再生回数を増やす努力)をする必要はあると思っています。多くの人に知ってもらいたいと思っているので、そのためには再生回数を増やせるようにもっともっと努力すべきだと感じます。

 

でも、広告を付けたら、たぶん、
見てくれている一人ひとりをきちんと見れなくなるような氣がするのです。

 

 

僕は大学二年生でTwitterを開設した時、
当然、フォロワーは0人からスタートしました。

 

そこから徐々にフォロワーが増えて、ある時、30人を超えたんです。

 

その時、僕は思いました。

「フォロワー30人…学校で1つのクラスをもってるのと同じだ…」

これは凄いことだな、って思いました。

 

僕は教育学部出身なので、教育実習の時に学校で授業をした経験があります。その道には進まず、バスケットボールの情報発信をとって今があるわけですが、「教師」という立場と同じ状況がネット上で出来ていることに感動しました。教員免許の有無に関係なく、30人の生徒(仲間)を集めることができたのですから。

 

僕は、「この時の感覚を忘れたくない」と今でも思っています。

 

「再生回数100回」

これって、少ないですか?

 

100人が見てくれているんです。
100人の前で授業をしているのと同じことです。

決して、少なくないと思うんですよね。

 

でも、広告を付けたら
「100回”しか”再生されてない」
ってなるでしょう。

 

仮に、この100人の中に、指導者という立場の人が30人いたとしましょう。僕の場合は指導者向けの発信が多い(チーム戦術やオフボールの動きなど)ので、実際にこのくらいの方が見てくれていると思います。

 

そうした場合、その30人の指導者には10人の「教え子」がいると仮定すると、「100回再生」を具体的に見ていったら、

30人(指導者)×10人(教え子)=300人

に影響を与えられる可能性がある、という事です。

 

僕はそう認識しています。

だから、300回の再生回数でも、100回の再生回数でも、
僕は動画を見てくれている一人ひとりを大切にしたいと思っています。

 

しかも、人生が大きく開ける時とか、多くの人との縁が繋がる時って、「一人との出会い」から始まることがほとんどです。

 

僕の場合は、今一緒に活動している賢者籠球の「鶴」と武学籠球の「慎さん」と出会ってから、一気に情報発信の幅が広がりました。関わる人が増えて、人生が豊かになりました。

 

そういう出会いの一つひとつを大切にしたいと思っています。

その一人ひとりを見れなくなって「フォロワー数」とか「再生回数」という「数字」にだけ目が向くようになったら、その時点で僕は情報発信を辞めるべきだと思っています。
これはみんながそうすべきという意味では決してなくて、”僕は一人ひとりを見ようとしなくなったら自分が嫌だからそうしたい”という話です。これは僕の個人的な信念です。

 

なので、今こうして

わざわざ時間をとって
この記事を読んでくれているあなたにも、
とても感謝しています。

 

「あなた」って言葉、あまり使いたくないんですが、今はそうとしか呼べないのでごめんなさい。お会いした際、メッセージをいただいた際は名前で呼ばせてください。
とにかく、今こうして僕の発信を読んでくださっていることが有難いです。なんといっても、僕の記事は毎回長いことで有名ですからね(笑)いつもありがとうございます。

 

これが一つ目の理由です。

 

 

本当にお勧めするものだけを紹介したいから


広告を付けたくない、もう一つの理由は
「表示される広告を自分がお勧めしたいものではないから」です。

 

ネットだと感覚がおかしくなりますが、
ネットでやっていることは、リアルでも同じであると僕は思っています。

 

つまり、ネットの自分自身はリアルの自分自身と同じだという事。そうじゃないと、実際の自分とズレるので、自分自身じゃない自分を頑張って見せるのは疲れるし、何よりもそんな人生は嫌です。(それに見る側としても広告があると面倒に感じるので付けたくないというのもあります)

 

自分が実際に体験もしてない商品はサービスの広告を付けるというのは、(僕の感覚だと)日常で会う友達やバスケ仲間に対して、自分が全く体験もしていない&良いとも思っていない化粧品を「これどう?これ使ってみない??」って言っているようなものです。・・・なんか変じゃないですか。というか僕は嫌です。

 

僕は本当にお勧めしたいものだけを紹介したい。

今まで何度か、「この方の発信はお勧めです」「この動画はお勧めです」「この講座はお勧めです」ということをしてきましたが、それは全て

自分が実際に体験して素晴らしいなと思った人や良いなと思ったサービス
を紹介しています。

 

実際に自分が体験していないことを紹介することも、発信することもしたくないと思っています。それは情報発信を始めた大学生の頃から変わらない想いです。今、発信しているバックカットや禮(礼)を含めて、すべて自分が実際に体験した経験をもとに発信しています。

だから僕は自分が広告を付けたくないと思っています。

 

 

 

情報それ自体には価値がない


ここまで広告を付けたくない理由を話してきましたが、だいたい伝わったでしょうか?

勘違いしていただいたくないのは「広告を付けて稼いでる人が悪い」と言いたいわけではない、という事です。広告というのは多くの人に認知してもらうためのツールで、そのおかげで広告主も広告を付けた投稿者も潤って豊かになるのならそれは素晴らしいことです。
今の世の中のほとんどの仕組みは、そういう助け合いで成り立っていて広告がなければ知りえないことも沢山あります。広告は宅急便みたいに、人と人の間に立って情報を届ける素晴らしい役割とも言えますからね。

 

ただ、僕の場合は広告を付けたくない、という話です。

そもそも僕のYoutubeの動画はYoutuberたちのように数万回再生されるような動画はほとんどない(1000回再生されたら多い方です)ので、仮に広告を付けたとしても稼げる金額は微々たるものだと思います。広告付けるつもりないんですけどね。

 

先ほど話した2つ以外にも、
もう一つ、僕が広告を付けたくないと思っている理由があります。

 

それは「情報それ自体には価値がない」ということ。

これは昔から思っていることです。

 

今の時代、GoogleやYoutubeを検索したら、いくらでも情報が手に入ります。中には本当に有料級の情報もあります。でも、その「有料級」っていうのを決めるのは受け取る人です、何にどのくらいの価値があるかは人それぞれ違いますよね。

 

そんな今、僕自身が最も価値があると思っているのは同志の存在です。

 

同じ志をもった仲間と人生を共に歩んでいく。
チームとして、みんなで一つのゴールに向かっていく。

 

溢れている情報をわかりやすく整理してまとめること(体系化)や、学んだことを実践して身に付けていくことにも価値があるとは思っています。なので僕はそういうこともネット上でやっていきます。

 

でも、もっと重要なことは、

一度しかないこの人生において、
同じ志をもった仲間(同志)と出会い、
共に、志(人生のゴール)に向かって歩んでいくこと

だと思います。

 

人生を通して、一緒にバスケを深めていける仲間。
その仲間と交流できるコミュニティの存在。

 

これ以上に価値あることは他にないと僕は感じています。

 

 

 

「大和籠球」を一緒に創りませんか?


僕はYoutubeに広告を付けませんが、
この活動を継続し発展させていくためには、
お金(活動費)を集めることも大切だと考えています。

 

でも、Youtubeに広告は付けませんし、
動画やPDFといった情報のみを有料で販売もしません。

 

「コミュニティへの参加費」という形でお金を集めます。

 

僕は今、
世界に通じるバスケットボールの型「大和籠球」
を創っています。

 

大きく和するバスケットボール

大和の精神(日本の精神)がベースにある
世界のすべてを一つにするようなバスケットボール
です。

 

ここにはバスケットボールの技術や戦術はもちろん、
「禮(礼)」と「志」といった人生に活きる学びも含まれています。

 

「バスケットボールの上達」「人格の向上」
「バスケットボールを楽しむ」
「チームでの勝利」
「バスケットボールの技術や知識」
「人生で役立つ技術や知識」

これらの両立を目指すバスケットボールが大和籠球です。

 

一般的に両立できないし、
むしろ”両立を目指すべきではない”と言われることもある
対立した事項だといえることですが、

 

僕は両立していけると思っていますし、
両立できるようなバスケを創りたいと思っています。

 

 

理想論と言われるかもしれません。

でも、僕自身が今、
これらが両立できることを体験できています。

 

両立できつつあります。

だから、これをもっと多くの人に伝えていきたいし、
もっと多くの人と大和籠球を進化発展させていきたい。

 

まだまだ、大和籠球は未完成です。

 

たぶん、何年経っても、
完成することはないでしょう。

 

大和籠球は、みんなで創っていくものです。

僕一人の知識を上から教えるわけではありません。

 

一人ひとりが志をもって主体的に行動しながら、
1つの志(ゴール)に向かってチームとして共に協力していく

 

参加者一人ひとりが主役です。

 

一人ひとりの知識や経験が大和籠球の一部になります。

 

 

大和籠球の詳細はこちらから↓

大和籠球 案内文

 

 

今既に全国各地から同志が集まっています。
ミニバス~大学まで、地方の学校の指導者もいれば中学と大学の全国大会に出場している指導者もいます。皆さんと共にこれから進んでいくことがとても楽しみです。

ご参加お待ちしています!

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