高校時代のビデオを久しぶりに見たら大笑いした話。

この記事は6分で読めます

この前、高校の同期から高校時代の試合映像を送ってもらいました。

なので、さっそく、双子の兄弟と一緒にビデオを見ることにしたんですが、

 

これがとにかく面白かったです。

 

僕の高校時代は、キャプテンをしていて、

地元の強豪校に兄ちゃんが進学していたこともあって、そこの練習の様子を沢山聞かされて育ったので、

「強いチームがやっている練習を自分たちもやれば勝てるはずだ」と思って、走り込みとか筋トレとかディフェンス練習をしてました。

 

キーワードを上げるとしたら、

・走る

・筋トレ

・ディフェンス

・キツイ

・全力

って感じの高校時代でした。

 

僕の中では、どの練習も一度も手を抜いたことがないと言い切れるくらい、

本当に「全力」で全ての練習をしていたし、それをチームメイトたちにも求めていました。

 

僕の高校の指導者は、僕らの主体性を尊重してくれていたので、

基本的に、僕が練習メニューを決めて、選手たちで考えてやってました。

その考えで出てきたバスケが強豪校のバスケで、さっきのキーワードみたいなバスケでした。

 

まぁとにかくキツイ練習でした。

 

チームメイトを怒鳴るとかなかったけど、

全員が全力で走るディフェンスをするという感じで、

選手たちだけでやってたのに、あの環境は凄いなって今でも思います。

 

 

このブログを始めるきっかけになったのは、そんな高校時代を過ごしていたけど、

ある時、NBA選手たちの「スペーシング(オフボールの動き)」の凄さを知って衝撃を受けたからです。

 

「これ、高校時代に知れていたら、絶対にもっと楽しく部活ができたし、強くも上手くもなれたな・・・!」

 

という気持ちがあったからです。

 

 

だから、過去の自分に伝える気持ちでブログを書いてきました。

今でも過去の自分がもし見ていたら…っていう気持ちで書いています。

 

 

なので、高校時代はある意味、闇みたい感じでした。

 

特に、ブログを始めた頃は、

「高校時代の自分はなんて無駄なことをしていたんだ・・・キャプテンとして厳しさしか追いかけていなかったし、なんでもっと学ぼうと思わなかったんだろう・・・ほんと、高校のチームメイトたちには悪いことをしたな・・・」

っていう気持ちがかなりありました。

 

 

でも、今はそういう気持ちはありません。

 

ゼロではないけど、

「高校時代は悪い過去だった」

ってことは一ミリも思いません。

 

 

だって、動画を見返すと笑いが止まらないからです。

 

 

今、見返すと笑えるところだらけだし、

それに「いやー、凄い走るなこのチーム(笑)速攻早いし、ディフェンスも徹底されているし、自分たちだけでよくここまで厳しくできたよなぁ。それになんだかんだいって、みんな仲が良かったし、走ってきたから後半でどんどん点差ついてる。それに役割分担もできるし、なかなかいいチームだ。笑」

と思えるからです。

 

ずっと双子の兄弟と笑いながら見てました。

 

 

今から見たら、「もっとこうしたら良かったな」ってことは無限に見えます。

 

僕がバスケを勉強していたら、…

周りの人の考えを素直に聞いていたら、…

NBAのスペーシングの凄さに気づいていたら、…

「強豪のバスケ=正解」としていなかったら、…

ぜーーったいに、もっと面白いバスケができただろうなって。

 

 

でも、あの時は無理でした。

 

今は高校時代を悪い過去とするんじゃなくて、

「あの時はあの時で、全力で一つのことに打ち込んでいた。だから、今、この発信ができているんだろうな」

って思えます。

 

あの時、自分が一番腑に落ちていることを全力でやれていたから、

だから、今、動画を見たら笑えるし、同期とも良い思い出として語れます。

 

一緒に集まれば、みんな今でも楽しくバスケできます。

 

 

もし、高校時代のバスケを否定しているだけだったら、

この発信は、もっとNBAのスペーシングだけをゴリ押ししていたり、日本の部活をただただ否定していたり、

そういうトゲのある発信というか、敵を作る発信というか、そういう感じになっていだんだろうなと思います。

 

それはそれで、人は集まるとは思います。

でも、それって今SNSとかである「炎上商法」みたいな、

アクセスという数字は集まるけど、そこに集まってくれた「人」を見なくなるというか、

そういう情報発信になっていたんだろうなと思います。

 

そうしたら、当然、対話もできないし、コミュニティもできません。

 

「そうだそうだ!日本の部活をやっつけろ!」

みたいなエネルギーだけが集まってきて、

本当の意味で部活や世の中が良くなるとは思えません。

 

 

わかりやすく、自分が示したい世界観を「光」として、逆を「闇」とすると、

否定だけをしていたら闇が濃くなるだけで、結局、光が広がることにはならないです。

 

もし僕が高校時代を否定だけしていたら、

当然、高校時代のチームメイトたちはこの発信を見ていないだろうし、

なんというか、僕は僕で会う人会う人に自分の価値観を押し付けていたんだろうなぁと思います。

 

 

この発信は高校のチームメイトも見てくれています。

 

大学のチームメイトもだし、

高校でお世話になった外部コーチの方も。

 

僕にとってはそれが本当に有難いなぁと思っています。

 

 

だって、あの鬼のキャプテン時代を知っている人たちが応援してくれるんですからね(笑)

 

ほんと、めちゃくちゃ厳しかったです。

そして、その分、僕のプレーも硬かった(笑)

 

やっぱり、思考と身体は連動しているなぁってビデオ見て思いました。

 

ドリブルもディフェンスもシュートも、

「こうしないといけない」っていう意識がある分、

硬くなっていて、視野が狭くなっていたなぁと思います。

 

そのプレーの視野の狭さは、そのまま日常生活の視野の狭さにも繋がっていました。

 

学ぶ範囲がとにかく狭かった。

素直に周りの人の意見を聞けていたら、

周りの人たちももっとアドバイスをしてくれたかもしれないし、

もっと自分でも本とか動画とか見て学んでいたんだろうなぁと。

 

 

でも、当然、今ほどは情報はなかったので、

スマホがある今は本当に可能性だらけだなと思います。

 

高校時代の僕がスマホを持っていたら、一日中バスケの情報を探しまくっていると思います。

 

で、確実にこの発信に辿り着いているでしょう(笑)

 

 

だからこそ、これからも情報発信をしていきたいなと思えます。

過去の自分が今この記事を見ていると思って、

過去の自分に対して伝えたいことを伝えます。

 

自分にできることはそれしかないからだし、

それが一番、自分にとって自然だからです。

 

 

この前の記事に対して、こんなコメントをもらいました。

 

=======ここから=======

思うことがあったのでコメントさせてもらいました。

部活終わりが楽しいっての十分に楽しんでいる気がします。僕もなんとなくわかります。
部活が楽しめていない?バスケが楽しめていない?って考えもあると思いますが、部活のあとに
メンバーで仲良く話をできるのって素敵な気がします。

友情関係があるんだから、もう少し大人がうまく操作してあげると
もっと部活をバスケを、人生を楽しくしてあげられるんじゃないかなって思います。
自分はみたことないからなんともいえませんが、部活のあとにお話できるチームなら、
もっとこうしたほうがいいんじゃない?ああしたほうがいいんじゃない?ってやれる環境があるような気がします。

でもそこは強要できないから教える側からしたら歯がゆいですよね。
監督も考えてほしいけども結局考えてくれないから自分の考えを押し付けるみたいになっているような気がするんですよね。

=======ここまで=======

 

 

そうなんですよね。

 

部活語が楽しいっていうのは、ある意味、部活が充実しているということで、

厳しい練習とかそういうのから解放される達成感とかそういうのはあると思います。

 

 

でも、今回会った高校生が、

「バスケットボールの楽しさ」という言葉を聞いたときに、

「練習後にチームメイトと喋ったりすること」が最初に出てくるのは、

何とも言えない感じでした。

 

練習が厳しいっていうことも言ってました。

 

極論ですが、

これがバスケの楽しさであるなら、

バスケじゃなくても何か厳しいことをみんなで耐えたら、

「楽しさ」を体感できるってことになっちゃいますよね。

 

バスケ関係なくなってしまいます。

 

 

純粋に、「バスケットボールの楽しさ」って、

シュートを決めるとか、相手を抜くとか、パスを通すとか、

そういうもののはずなので、あの答えを聞いて「う~~ん」っていう感じでした。

 

ご意見には、「話し合える関係なのでは?」という声がありますが、

それを指導者に伝えられる環境があれば、もっと楽しい部活やバスケを創れますよね。

 

 

そういう関係ではないのが問題なのか、

選手たちバスケを学ぼうとしてないのが問題なのか、

そもそも、そういう学ぶ場がネットにないのが問題なのか。

 

あの高校生たちが僕の高校時代みたいに、

「これをやれば勝てるはずだ!みんなで頑張ろう!」

っていう意識でやれていたら、いいんだと思います。

 

もしそれが後から振り返った時に「無駄なことだった」と思えても、

その時、全力で一つのことに向かっていたという経験は必ず後で活きます。

 

 

同じ道を通ってほしくないから伝える側になろう。

となれるし、その時に過去を否定するんじゃなくて、

「あの時のおかげで今、このことを伝えられるな」って思えます。

 

だから、否定じゃなくて、むしろ「ありがとう」です。

 

 

絶対、誰でもそういう過去があるはずなので、

過去の経験を否定するんじゃなくて、ありがとうと言いながら伝える側になったら、

 

今僕が体験しているような、

自分では想像していなかったような沢山の繋がりが生まれて、

一人一人の人生の全ての経験が今、これからに活きるようになります。

 

 

僕はそれを「インターネットの情報発信」で感じています。

 

今、ほとんどの人がスマホを持っていて、

これから先、今以上にどんどん拡大していきます。

インターネットの世界と日常の境界線はどんどんなくなります。

 

だから、一人一人がそういう発信をしていって、

自分の過去を活かせる人が増えていくべきだと思います。

 

 

ただ呟いているだけとか、

ただ情報を流し読みしているだと、

宝の持ち腐れになってしまうかもしれません。

 

普通、過去の嫌な思い出って隠したくなりますよね。

 

僕も「高校時代はなんて恥ずかしいことをしていたんだ…無駄ばかりで…」と思いながら生きていく道もあったわけで、

もしそうだったら、今ある繋がりはゼロで、高校の時間が今ほど活かされることもなく、過去に置いておくだけだったんだろうなと思います。

 

 

でも、高校のビデオを見返すと笑えるので、

今はあの時の経験が活きているなぁと思えます。

 

 

そんなわけで、高校時代の動画をまた楽しく見ようと思います!

 

 

 

PS.

今回の記事の流れ的に、新企画の予告を簡単にしようかなと思います。今回、新しく始めようと思っているのは、漫画や映画に隠されている「神話(物語)」という視点と「ネットビジネス(情報発信)」の視点です。今日の記事では、ただ高校時代の話をするだけのつもりだったんですが、書いていると自然と新企画の内容に繋がってきます。ずっと温めていたものですが、「そろそろ始める時期だ」っていうことなんだろうなと思ってます。特に「神話」という視点はギリシャ神話って言葉はみんな知っているけど、その活かし方を学ぶ機会も場所もないし、「スポーツでそれを知ってどうなるの?」ってのが普通だと思います。でも、僕の中ではこの視点を知ってから、あらゆることが変わったなと思います。自分の視点が変われば対人関係が変わるので、ってことは全てが変わるってことですよね。会う人も集まる情報も変わるので、イコール、人生が変わるってことになります。そして、それはそのまま、これからの時代に必要になる「情報発信」に繋がります。情報発信とはネットビジネスのことでもあって、バスケの発信は講座として運営しているので、僕はそういう方向の発信を広げていきたいと思います。また近々、お知らせします。

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