最近、高校生と試合をした後、
最後のあいさつの時に、こういう質問をします。
「勝つこと以外で、バスケが楽しいと思う時はどんな時?」
まずはキャプテンの子を指名して、
その後はキャプテンの子が次の子を指名して、
またその子が次の子を指名して、っていう流れで3人答えてもらっています。
なんでこれをしているかというと、
単純に、高校生のみんなはバスケットボールのどんなところが楽しいのかな?
と思うからです。
勝つことが楽しいのは言うまでもないので、
あえて、それ以外という風に聞いています。
これに対して、最近あった答えは、
「ディフェンスで相手を止めた時」
「みんなでパスを繋いで得点を取った時」
「練習をしたことが試合で出せた時」
という感じでした。
で、その中で、昨日、
ある女子高校生チームと自分が関わっているチームが練習試合をしたので、
さっきの質問を高校生のキャプテンにしてみました。
そうしたら、笑顔で、
ちょっと戸惑いながら、
「えーっと、部活の後です。笑」
と言っていました。
「ん?どういうこと?笑」
と僕が聞き返してみると、
「部活できつい練習をした後、みんなで喋ったりするのが楽しいです。笑」
って笑顔で、「こんな答えになっちゃいます(笑)」みたいな表情で応えてくれました。
周りの子たちもちょっと苦笑いしながら頷いている感じでした。
きつい練習というのは、走り込みやディフェンス練習だと言っていました。
僕も部活をしていたときは、きつい練習をして、それで走れるようになって試合に勝てるようになったし、
きつい練習をしているからこそ、その後の充実感はあるし、負ける悔しさもあるから悪いことではないのかなとは思いました。
でも、情報発信者としては、
「部活がただきついだけの時間になっているのかな。バスケの楽しさを知らずに、部活の印象が『走る』『きつい』だけになっているのは、もったいないなぁ」
という気持ちはありました。
ほんと、ただただもったいないです。
僕も高校時代は、今から振り返ればそうであった部分はあるんですが、
あの時の僕らはそれが良いと”選手の自分たちで”判断して走り込みをしていました。
中には嫌だと思う部員もいたと思いますが、でも、みんな目標に向かって一生懸命練習していました。
それと、今回の話は違うように感じました。話をしていると。
今回の高校生たちは、自分たちで「勝ちたいからきつい練習をがんばろう!」となっているんじゃなくて、
言われたままにきつい練習をしていて、それをする意味も腑に落ちていないし、バスケの楽しさもわからないような状態。
これって、本当にどうなんでしょうね。
それを聞いて、僕が、
「そんなのもったいなさすぎるよ!もっと楽しいバスケはできるし、必ずしも『勝つためにはキツイ練習が必要』ってわけでもないよ。それに、勝ちたいと思って上手くなりたいと思ってそれにキツイ練習が必要ならやればいいけど、そもそもバスケが好きって気持ちがないと何も始まらないよね。部活ってストレスを溜めて、その後に発散するためにあるんじゃないんだからさ・・・もっと面白いバスケ絶対できるからやろう」
ってことをその場で言えるわけもないです。
指導者の方の考え方もあるし、高校生たちを迷わせたり、
今の道を中途半端に進ませてしまうのはおかしなことですからね。
他人がとやかく言って、道を強制して、将来的に良いことはありません。
ほんと、いつも、こういう時はもどかしいです。
目の前にバスケを楽しめていない部活を楽しめていない学生がいるけど、
今のバスケよりも少しでも面白いバスケを伝えることはできるけど、
できない。
「まぁ大人になってからバスケの楽しさを知ればいいかな。自分の発信とか誰かの発信とかを見て、それで、その時、バスケの楽しさを知れたら今の経験も無駄じゃないのかな」
と思う自分もいますが、
目の前の高校生たちの何人が、
高校を卒業した後のバスケをするかわからないし、
引退後って言っても、今のチームでのバスケは今しかできないわけだし。
それに部活でバスケをやるのは、たぶん、高校が最後だって子がほとんどだろうなぁ。
「楽しいのに理由なんてない」
って気持ちはわかります。
バスケの何が楽しいかって聞かれても、
「楽しいもんは楽しい」って感じではあるし、
なんかあえて、そこを言語化する必要もない気もします。
でも、そういう感じではないから「ん~」となりますね。
どうにかしたけど、どうにもできない状況。
バスケってただの遊びだから、別に何かを変えないといけないって義務があるわけでもないし、
それを強制するのもおかしな話なんだけど、でも、めちゃくちゃたくさんの時間をそこに使っているわけで、
楽しいと思って始めたはずだし、楽しみたいと思ってやっているはずだし、少なくともストレスを溜める場であるのはおかしい。
それに、そういう場所で、
「キツイことに耐えて、そのストレスを発散することが快感」
みたいになると、大人になった時に、
キツイことをしないといけないと思ったり、
そうすることを他人に強要してしまったり、
その発散の快感が人生の楽しさだと勘違いしてしまい、
人生の道を選択するときに、自分が本当に進みたい道に進むというよりも、
とにかく、ストレスが発散できる道に進む、現実から逃げられるような道に進む、
という風になってしまいます。
仮に、「スポーツを通して人として大切なことも学べる」という視点で考えた時、
このことを「スポーツを通して、子供たちが学ぶべき人間性や社会性だ」という人はいないはずです。
でも、現状、
そうなっている場も
今の部活動にはあります。
キツイことから解放されることで得られる快感って、
本来の嬉しさではなくて、刺激がある快感というか、
たとえば、スラムダンクの谷沢が「安西先生のキツイ指導が嫌だからアメリカ行く!」と言って、
本来進むべき道を踏み外したのと同じで、道を踏み外すってことに繋がったりします。
もちろん、全てではありませんが、それは「道を踏み外すパターン」の一つです。
(このあたり、今現在、有料講座で深めているので、また落ち着いたらシェアします)
そんなことを思いながら、自分ができることをしようと思いつつ、
高校生たちには「チームメイトが『楽しい」と思うことを知っておくと、もっとバスケは楽しくなるかもね!」
ということを伝えて、試合後のあいさつを終えました。
なかなかバスケをやっていると、
「隣にいるチームメイトが『バスケが楽しい』と思う時は、どんな時か?」
ってことを知らないものですよね。
だから、それを共有したら
良いチームにきっかけになると思います。
自分が楽しいと思えることって、誰かに何かを言われなくても
自分から楽しめるから、そこに「モチベーションを上げる」みたいな考え方は不要です。
(そもそも「モチベーション」って「動機」なので、バスケをする目的とかキッカケだと僕はとらえています。上がる下がるとかなくて、あるかないか、というものだと思っています)
そうやって、それぞれが楽しいと思うことを共有して、
「あ、そういうところが楽しいんだ。じゃあ、それをもっとできるようなプレーを考えよう」
って、それをもとにプレーを組み立てていけば、結果として、チームを高めることに繋がると思います。
皆さんは、
勝つこと以外で、バスケが楽しいと思う瞬間はいつですか?
ちなみに、僕は、「駆け引きの瞬間」です。
2対1が生まれたとき、
ノールックパスを通せたとき、
パスを見せかけてシュートを決めたとき、
ディフェンスで先読みをして守っているとき、
良いスペーシングからオープンを創り出せたとき、
そんな瞬間が最高に楽しいなって思います。
あの高校生たちが、
部活を終えた後のチームメイトと楽しく喋る時間以外にも、
バスケットボールが楽しいと思える時が一つでも増えたらいいなぁと思っています。
僕ができることは、自分ができることを精一杯やって、
常に学び続けていくことだけだと思うので、引き続き、情報発信していきます。
どんどん活動していくべきだなと、
昨日みたいな体験をすると思わされますね。
なので、あの高校生たちとの会話にも感謝です。
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