「どうして甲子園に行きたいの?」と野球少年に聞いてみた。

最近、ある中学一年生の子と話をしました。
 
その子は野球部で、小学校の頃から中学の部活動を楽しみにしていて、
最近、野球部に入部したと言っていました。
 
小学生の頃は、ピッチャーをやっていて、
中学生になってもピッチャーをやりたいそうなのですが、
「試合に出たいけど、出れるかわからない」
「変化球を投げれるようになるけど、誰も教えてくれなさそう」
というようなことを言っていたので、
「今ならYoutubeで何でも知れるし、先輩と仲良くなれば教えてもらえるから大丈夫だよ」
と伝えました。
 
 
中学生でもスマホを持っているけど、
ゲームをしているだけの中学生は多いです。
 
そうではない人ももちろんいるけど、
ゲームもバスケと同じように遊びなので、全く悪いとかそうは思いませんが、
「ただのゲーム機」にしてしまうのは、明らかにもったいないし、
「ただの危険な玩具」といって取り上げてしまうのも、これももったいない。
 
 
そんなことを思いながら、
ふと、野球少年のバックを見てみると、
 
「甲子園」
 
の文字が書かれていました。
 
 
高校球児の誰もが目指す夢の舞台。
 
その子も野球を小学生からやっているので、
当然、甲子園を知っているし、憧れの舞台のはず。
 
 
そこで少年に聞いてみました。
 
 
「甲子園、行ってみたい?」
 
 
すると、少年はちょっと笑いながら、
「そうですねぇ。野球をやるからには行ってみたいですね」
と答えました。
 
 
そこから、こんな感じの会話をしました。
 
 
「そうなんだ。甲子園ってやっぱり憧れの舞台なんだね。
じゃあ、どうして甲子園に行きたいの?」
 
少年
「えーーっと、どうしてかと聞かれると、・・・
うーん、色んなチームと対戦できるからですかね」
 
 
「色んなチームと対戦したいんだね。
でも、それは地区大会でもできそうじゃない?
どうして甲子園じゃないといけないのかな?
全国の高校生と対戦したいってことなのかな?」
 
少年 
「・・・ああ、確かにそうなんですね~。笑
あ、観客が沢山いるから甲子園がいいですね」
 
 
「なるほどね。観客が沢山見てくれてるといいよね。歓声が沸き上がるって最高だよねぇ」
 
少年
「あ、でも、テレビには映りたくないですね。写真とか撮られるのも嫌いだから。笑」
 
  
「でも、甲子園に行ったらテレビに映っちゃうね。笑
じゃあ、甲子園に行きたいっていうよりも、沢山の人の前でプレーしたいのかな?
でもそしたら、テレビに映れたら沢山の人の前でプレーできるってことでもあるね。
歓声がある試合がいいのかな?甲子園になんで行きたいのかな?」
 
少年
「うーーん、…わからないですね。笑」
 
 
 
・・・という感じで会話が終わりました。
 
なんだか、こうやって書いてみると、
部活を楽しみにしている中一の少年に意地悪をしているだけに見えるんですが(笑)、
この事を考えるのって凄く大事だと最近思います。
  
 
スポーツをするチームの多くは、
「チームの目標」を決めるはずです。
 
たとえば、
「県大会出場」
「県大会ベスト○」
「全国大会一回戦突破」
「全国大会出場」
という感じで。
 
 
でも、
「どうして、その目標じゃないといけないのか?」
という質問に答えられる人は少ないんじゃないでしょうか?
 
 
当然、高校時代の僕も一緒で、
僕がキャプテンになった新チームになったときは、
「先輩たちが達成できなかった目標を達成しよう」
という理由から、県大会でベスト4になることを目標にしていました。
 
そこに対して、何も疑問はもちませんでした。
 
 
でも、今から考えると、おかしいなところがあります。
今なら、こうやって自分にツッコミを入れると思います。
 
「どうして県大会ベスト4を目指すの?
どうして県大会ベスト8じゃダメなの?
どうして県大会優勝じゃダメなの?」
 
 
よくよく考えれば不思議なことです。
 
ベスト4を目指しているということは、
ベスト4に入ることができたら目標が達成されて、
そこから先の試合は、どうなるのかは考えていません。
 
 
高校生の僕も、一瞬考えはした気がします。
一瞬だけ。
 
そのときは、
「ベスト4に入ったら、あとは楽しむだけだ」
という感じで何となくイメージしていました。
 
 
あれ?
 
これもおかしなことです。
 
 
ベスト4に入ったら目標を達成しているから、
あとは、勝ち負けよりも楽しむことを優先したらいい
・・・と言っているようなもの。
 
 
何かおかしな感じがしますね。
 
 
でも、当時の僕は一瞬だけそのことを考えたら、
あとは、目標を達成した後のことなんて考えずに、
全てのエネルギーを目標達成のために使って練習をしました。
 
 
その結果、どうなったかというと、
 
目標を達成するまでの時間は、「修行の時間」になり、
目標を達成するまでの試合は、「負けられない試合」になり、
目標を達成する直前の試合は、「全てを出し切らないといけない試合」になったのです。
 
 
これだけを聞くと、目標に向かって素晴らしい時間を過ごしているとも思えるのですが、
 
当時の僕はどういう気持ちでバスケをしていたかというと、
小さな勝利でも満足してはいけないと課題ばかりを探して、
練習中は自分にもチームメイトにもどんどん厳しくしていったのです。
 
 
その結果、試合はどうだったかというと、
 
勝ちを目指しているはずなのに、
「負けたら目標を達成できない…」
と負けることが怖くなり、無難なプレーだけを選択して、
試合に勝っても「喜び」よりも「安堵感」の方が大きかったのです。
 
 
喜んでいいのは、目標を達成したときだけだ…
 
そんな風に思っていたような気がします。
 
 
 
甲子園をどうして目指しているのか?
と聞かれたときに、わからなかった野球少年と同じように、
高校生の頃の僕は何が問題だったかというと、
 
バスケットボールをする目的を見失っていた
 
ということです。
 
 
言い方を変えたら、
目標を達成することで、どうなりたいか?
いう部分が抜けていたということです。
 
 
こういう話をすると、
「中学生や高校生のうちから、そんなことを考える必要はない!もっと純粋にスポーツを楽しませるべきだ!」
という意見もあると思います。
 
でも、ただ闇雲に目標設定をして、
目標を達成することばかりに気をとられて、今を楽しめない
といった状況になってしまったら、本末転倒ですし、
 
そうやって「目的」と向き合わなかったら、
スポーツから離れた後も、何となく人生を過ごしてしまうかもしれません。
 
 
そもそも、野球少年も僕もそうでしたが、
自分で作ったと思っている目標が、実は自分で作っていない
ということもあると思います。
 
小さい頃に、大人から言われたことだったり、
「高校生は○○でなければいけない」といった固定概念だったり。
 
 
一生懸命目標に向かうことは、素晴らしいことです。
 
そこに対して、全力で向かうからこそ、
得られる喜びや悔しさというものはあります。
 
その事を否定するつもりはありませんし、
一生懸命何かに打ち込むことを否定したら、
薄っぺらい人間になってしまうと思います。 
 
 
目標に向かって進むことは大切です。
 
 
でも、それ以上に、
目的を決めることの方が遥かに重要で、
目的が決まれば、目標は自然と決まり、
目標に向かっていけば、結果が手に入ります。
 
これが、「結果は後からついてくる」
という言葉の意味です。
 
 
目的がなく、ただ目標に向かっていたら、
後からついてくる結果は、本来の結果ではありません。
 
 
 
ちょうど今、中高生は最後の大会を控えていると思います。
 
目標を達成することを目指しながら、
「どうしてバスケットボールをしているのか?」
「目標を達成することで、どうなりたいのか?」
という部分をチームで自分で見つめ直してみてほしいと思います。
 
 
チームの目標設定だけに限らず、
「どうしてディフェンス練習をしているのか?」
「どうして今のオフェンスシステムを採用しているのか?」
「どうして自主練をしているのか?」
という感じで、日頃の練習に対しても、
同じように考えてみると、きっと新しい発見があるはずです。
 
 
そして、この事はバスケットボールに限らず、
情報が増え続けている今の時代は、あらゆる場で大切なことです。
 
 
僕がどうして情報発信をしているのか?
どうして今、パソコンで文章を書いているのか?
についても考える必要があるってことですね。
 
こうやって、自分に対して質問をしていくと、
見落としていたことが見えるようになってきます。
 
 
これは、指導でも言えることで、
相手に寄り添って、相手の本音を聞いて、
相手に合ったアドバイスをしていくためにも、
本当に大切になることです。
 
自分の考えを押し付けるのではなくて、
相手がしたいことを引き出してあげる指導。
 
 
それが指導者の役割だと思います。
 
 
 
「自分に対する質問の数が人生の質を決める」
と感じる今日この頃です。
 
 
 
野球少年へ。
  
野球を楽しんでね!


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