仕事の帰り道にたまたまバスケコートを見つけました。
僕は今は田舎に住んでいて、仕事でちょっと遠出をしたのですが、そのときに公園にあるバスケコートを見つけました。この地域には、何故かたくさんのコートがあり、僕が動いた3km圏内だけでも4つのゴールがありました。こんな感じで、日本の公園に一つはバスケゴールが設置されるようになったら楽しいだろうなぁと思いながら、先にバスケをしていた少年のところに行きました。
僕はアメリカと台湾でストリートバスケをしたことがあるのですが、今回も、そのときと同じような気持ちでストリートコートに入りました。「勝手に参戦した」と言う方が正しいかもしれません。笑
コートでバスケをしていたのは、中学2年生のバスケットマン。
バスケを中学から始めたので、まだバスケ暦は一年くらい。自転車でコートに来て、一人でシュートを打っていたので、少し仲良くなったら、1対1をしました。お互いに名前すら聞かなかった(これは海外のストリートコートでバスケをした時もそうでした)けれど、バスケがあるだけで仲良くなれて、楽しい時間をすごせました。やっぱり、バスケっていいもんですね。
スポーツは遊び
スポーツは、人間の遊びとして生まれました。つまり、仕事が効率化されていった結果、余暇時間が増大し、その余暇時間を埋めるための遊びとして色々なスポーツが生まれてきました。「sport」の語源は、「気晴らし・楽しみ・遊び」です。
小さい頃、どんな遊びにハマりましたか?
僕は、「大乱闘スマッシュブラザーズ」「遊戯王のカードゲーム」「ボンバーマン」とかにハマっていました。僕の世代は多くの人がハマっていた遊びだと思います。完全に時間も空腹も忘れて夢中になりました。誰かに「止めなさい。」と言われるまで、帰宅の時間になるまで続けていました。(懐かしい!)
そんな「遊び」には、以下のような特徴があると思います。
・時間や空腹を忘れてしまう
・自分で考えて工夫する
・誰かと比較することなく、自分の価値を高める
・自分らしさ(個性)がそのまま現れる
スポーツも、テレビゲームやカードゲームと同じような「遊び」として考えるなら、これらと同じ特徴があるはずです。今回、僕と中学2年生のバスケットマンがバスケをしていた時間は、まさにこの通りの特徴がありました。誰かに何かを言われることもなく、自由に、自分らしく、時間を忘れるくらい夢中になりました。
あなたのバスケットボールには、「遊び心」はありますか?
遊びの要素がないバスケ部
日本では、アメリカのようにストリートコートがたくさんあるわけではありません。なので、多くの子供は、バスケットボールを始める時に、何かの組織に入ります。ミニバスのチームや中学校の部活動です。これは、日本の現状からして仕方が無いことであると思います。(僕は有り難いことに、庭にゴールを置いてもらえたので、ずっと兄弟とバスケをして育ってきました)
最初に入った組織に、遊びの要素があれば良いのですが
中には、遊びの要素を忘れてしまった大人がバスケを指導している組織もあります。
(※一部の組織について言及しています)
遊び心がないバスケットボールとは
- 指導者が一つの価値観を絶対視してしまっている
- 自分の身体やプレーに向き合う時間(誰からも強制されることなく、自分の成長のために自ら取り組む自主練習)がない
- 選手の自主性を育むような場の雰囲気がない(正解や不正解、ミスに囚われている)
ようなバスケットボールです。
コントローラーを握り、選手を自分の期待通りに動かそうと必死になる指導者。選手よりも指導者の方が目立ってしまうほど、怒鳴り散らし、選手は萎縮して目の輝きがなくなってしまっているような場。そんな環境では、選手にとってのバスケットボールが遊びではなくて、義務のように嫌々やっているものになってしまいます。
バスケットボールは、そんなに狭いものではありません。
バスケットボールは、今でもなお、進化し続けているし、自分の身体の可能性を無限に広げて行ける楽しい遊びです。誰かのためにバスケットボールを始める人はいません。子供の頃は、誰もが自分が楽しむためにバスケットボールを始めます。そこから、成長していく過程で、チームのためにプレーするようになります。
「誰かのためにプレーをしなさい。」と教わって誰かのためにプレーするのは、偽善のプレーです。そんなことする必要は無いし、大人はそんなことを言う必要はありません。まずは、自分が楽しむために、自分の頭で考えて、自分で可能性を広げていくことを楽しめば良いと思います。
今回一緒にバスケをした中学2年生のバスケットマン。
彼は、NBAを見ていて、NBAをイメージしながらバスケをしていました。学校では特にバスケを教わったことはないと言っていましたが、「バスケなら何時間でも飽きないでできる」と楽しそうに話していました。僕がその場で「NBA選手のシュートは、…」「ドリブルの仕方は、…」みたいにブログで話している内容を話すこともできましたが、そんなことをする必要はありませんでした。
僕自身が彼と同じように、遊びのバスケからバスケットボールをスタートさせて、その頃の感覚を今でも覚えているから、24歳になった今でも、毎日バスケに向き合っていても、全く飽きずにやれています。全ては、遊び心を知っていて、忘れることがないからだと実感します。
今は知らないことがあったとしても、
自分の頭で考えて、自分で試行錯誤していける人は、
いつか何かをキッカケとして、学ぶことの楽しさを知り、成長していきます。
遊び心があれば、大人になってからも、子供のような心で遊べます。
頭ん中子供のままだと大人の社会で我慢して生きなきゃなんないよな。。色々学んで力を付けて周りのヤツよりリードしてりゃ社会に出ても大人のふりして子供みたいに好きなことしながら歩いていける。。
— 武井壮 (@sosotakei) 2016年5月17日
誰かに無理やりやらされて、覚えさせられた知識や動きよりも
自分で失敗や挫折を繰り返しながら、考えて身につけたものの方が身につきます。
この感覚、自分で自分の身体を変化させていく「遊び心」をスポーツで身につけることができたら、いつかスポーツ以外の面でも、同じように幅広い学びを得ようと頭と身体が反応します。スポーツと日常がリンクして、無知の知を自覚して、学ぶことの楽しさを知れます。
そうしたら、スポーツから広がり
学校での勉強、大人になってからの勉強も、自主的に行います。
そんな可能性がスポーツにはあるのだと思っています。
僕自身、昔は何も学ぼうとしていなかったですが、遊び心をずっと持ち続けてバスケに没頭していた結果、今では仕事・お金・世の中の仕組み・医学・武術・マンガ・コミュニケーション・英語・インターネット・未来の生活、…など幅広い分野のことに興味を持てるようになりました。
遠回りが近道を作ることもある
知識や経験を”押し付けてしまったら”、近道に導いているようで、遠回りをさせているのかもしれません(知識を学ぶこと自体は、時間効率を飛躍的に上げるので大切なことです)。自分の頭で考えて、遊びの要素を持つことができたら、失敗や挫折を経験して遠回りをすることになります。でも、あとから見たら、「遠回りをしたこと」が「自分の近道を見つけるためには最善の手段」になるかもしれません。
遊びの要素を忘れることなく、
忘れてしまったら、もう一度子供の頃の感覚を思い出して、
自分の頭と身体で考えて、より良い自分(たち)を目指して楽しみましょう!
PS
そんなことで中学生の彼とは、1時間半くらい、手が真っ黒になるまでバスケをしていました。Twitterはやっていないそうで僕の発信は知らないみたいでしたが、いつかブログ記事を読んで、バスケの楽しさをより一層感じてくれたら良いなぁと思いながら、これからも記事など更新していこうと思います。
たぶん、彼とは一生に一度だけの出会いでした。
ブログを通したらまた出会うかもしれないけど、そんな気持ちで一緒に過ごした時間は、あっという間で楽しい時間でした!いつも夕飯の時間も忘れて、公園でバスケをしていると言っていました。お母さんは「バスケならいくらでもやって良い」と言ってくれているそうです。良いお母さんですね。
今は学校の勉強がつまらなくて、バスケの時間だけ楽しんでいると言っていました。昔の僕と全く同じです。いつかバスケから広がって、勉強の楽しさに気づく日が来たら良いなぁと願っています。
遊びの要素があるバスケットボールというスポーツは、素晴らしいものですね。人生を豊かにしてくれます。アメリカや台湾でバスケをした時と同じ感覚を日本にいながら感じることができました。いやー楽しかった!!
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