インターハイ中止について思うこと。

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昨日、とある大学生の引退試合を見ました。

 

去年の10月に行われた大会で、

発信仲間と一緒にその試合を見ながら、

「やっぱり、引退試合って悔しいよね」

「今見ると反省点しか出てこないわ、今後に活かさないとな。」

といったことを話してました。

 

負けた試合って、そんなに見たくないですよね。

僕は退試合で気持ちよくプレーできたことがあまりません。

学生の時の引退試合は、4ヶ月くらい経ってからようやく見れましたからね。

 

それくらい悔しくて見れなかったし、

もう、次がないから見ても仕方ないというか、

あの試合後の感触だけで十分って感じなのかなと思います。

映像でわざわざ振り返らなくても、あの試合の感触は、印象は残っているというか。

 

 

インターハイが中止になりました。

 

僕は全国大会に出たことがありませんが、

この大会がなくなるのがどれだけショックなのかは、

大会がなくなったことがない僕がわかるわけがありません。

 

だから、気軽に、

「何か代替案が出てくるはずだよ」とか、

「バスケは大人になってもできるから」とか、

そんなことを言えるわけもなく、

記事を書くことすら、必要なのかどうかわかりませんでした。

 

ただ、僕ができるのは僕の経験を伝えていくことだけだと思うので、

今回のインターハイ中止について、思うことを書いていこうと思います。

 

 

正直、今のコロナについては、

超凶悪なウイルスというわけではないのに、

世界的に、政府の対応だったり、人々の認識だったり、メディアの報道だったりで、

これだけ大きな騒ぎになってしまったと僕は捉えているので、

そういうことも考えると、本当に、大会が中止になり、部活ができない今、

本当にこれで良いのかと思うことはあります。

(コロナに関しては次の記事から書いていきます)

 

でも、起きてしまったことは仕方ないし、

これを何かのきっかけに変えるしかできません。

 

Kobeが愛読していた小説に『アルケミスト』というのがあります。

これは、コービーがレブロンに勧めてレブロンも読んだ小説で、世界的にも4300万部以上売れているベストセラー小説なんですが、

その中で登場する主人公のサンチャゴという少年は、

ピラミッドにある宝物を目指して旅をしている中で、様々な壁にぶつかります。

それこそ、全財産を捨てることになる出来事が起きたり。

 

そんな時、少年はこう思います。

 

「全ての出来事は目的地に近づくための前兆だ」

 

 

コービーも、自分のキャリアを振り返った時、

上手くいかなかった時期、手にできなかった成功があるから映画は面白くなる

ということを言っていましたが、

映画も漫画も、ドラマも、

物語というのは、何か上手くいかないことがあるから人をひきつけます。

そういう部分がない、全て順風満帆に進んでいく物語は一つもありません。

 

もちろん、そういう上手くいかないものを歓迎して、それをあえて起こしましょうっていうのは違うんですけど、

バスケでも人生でも、上手くいかないことなんて、山ほどあるものだと思います。僕もそういうのはたくさんあります。

 

そこで、どう捉えるか?

っていうのが大事だと思うし、

それしかできないんだとも思います。

 

こういうことが起きた時、

大きく分けて考え方は二つに分かれます。

・「なんで、こんなことになったんだろう・・・ああ、最悪だ・・・」

・「これもきっと、何かを変えるきっかけになるはずだ・・・」

 

上手くいかない時ってホント最悪な気分になると思います。

どん底になって、自暴自棄になることもあるでしょう。イライラしたり、グダグダしたり。

今回のように、自分だけじゃどうしようもないことだったとしても。

でも、そうしていても、本当に何も生まれないんですよね。

ああ最悪だ・・・っていう瞬間、めちゃくちゃエネルギーが下がって何もやる気にならないし、

このままずっとグダグダしていたい気分になります。

 

でも、そうしていても何も変わらないし、

起きてしまったことは本当に仕方ないんですよね。

 

とは言え、グダグダしてしまうものでもあります。

エネルギーがなくなって、

「なんであの時・・・」と自分の行動を後悔してしまうこともあるでしょう。

「あの時こうしていたら、今頃・・・ああ・・・」

ってことはありますよね、そりゃロボットじゃないんだから。

 

そんな時、どういう風に考えたらいいのか。

 

それがサンチャゴ君のように、

自分の人生を一つの物語として捉えて、

「この出来事も、あとから振り返ったら目的地に辿り着くために必要な出来事だったんだ」

と捉えることです。

 

そういう風になるかどうかはわかりません。

でも、今、エネルギーがなくなっていたとしても、

そのエネルギーはマイナスにもプラスにもなるパワーを持っています。

 

数学でいうと、「絶対値100」みたいなものです。

 

その上手くいかなかった出来事に使っているエネルギーが「100」あったら、

それをただ外に流していくだけだと、マイナス100のエネルギーになるだけです。

でも、それは、プラス100のエネルギーに転換する可能性もあります。

 

映画とか、漫画を見る時、

その瞬間を楽しむことはもちろんですが、

あとから振り返ったときとかに、

「あの場面があったからこそ、この映画って面白いんだよな」

って思えるシーンがあるはずです。

 

映画とか漫画は、そういう僕らの人生と似ている物語のパターンが使われているので、

多くの人を動かすエネルギーがあります。

 

究極なのは、

自分の人生を一つの物語として捉えて、

今の上手くいかない出来事を一つのシーンとして考えた時、

「このシーンがなければ描けない面白い物語はどういうものか?」

というのを設定して、その物語のゴールに向かって今を生きるという視点です。

 

コービーが引退する前に、

自分の人生を映画に例えていたのは、

おそらく、こんな感覚なんじゃないかなと思います。

 

これには、コービーの死生観だったり、

学んでいたと言っていた神話学(物語の視点)だったり、

あとは、多くの人に影響を与えている自分の人生をメディアなどを通して客観的に見ることができる立場にいたからこそ、

自分の人生を俯瞰して、上手くいかなかった時期を一つの物語として捉えられていたんじゃないかなと思います。

 

僕自身、そういう視点で常に生きているか?と聞かれたら、

常に、とはいえない状態ではあります。

 

なので、僕はこうやって記事にすることで、

自分に対しても、この感覚を忘れないようにしています。

 

 

僕は、いつも、

なにか上手くいかない時が起きたときとか、

すぐに切り替えて、「これもきっと、後から振り返ったら・・・」と思うようにはしています。

実際、それで良いきっかけが見つかるようにもなるし、そういう体験をしているからというのもありますが、

それしかできないからです。

 

そうするしかしょうがないです。

だって、起きてしまったことは本当に変えられないので。

 

でも、僕も上手くいかないこととか、

「ああ、あの時、こうしていたらなぁ・・・」とか、

後悔するようなことがゼロなわけじゃないです。

 

どちらかというと、そういうのでグダグダしてしまいがちな人間です。

 

そういう風に見えないかもしれませんが、

それは、その後悔したり過去に固執する時間が短いだけです。

短くしようとしているだけです。

 

なので、今の状況も、

きっと、何かを気づかせてくれるきっかけだったり、

きっと、これがなければ生まれないものがあると思って、

これが自分の人生の中で、今後に繋がる一場面になると信じて、

今できることをやっていくしかないんじゃないかなと思います。

 

僕は、高校で引退した後、

「もうバスケを辞めてもいいな」

と思いました。

 

それから、ヘルニアになった時も、

大学で引退した時も、思いました。

 

もうバスケを辞めよう、って。

 

でも、今振り返えると、

あの時の「もうバスケを辞めようかな」と思った瞬間は、

僕にとって、バスケ人生の転換点で、

 

そう思えるような、上手くいかないこと、

これ以上努力できないと思っていたけど試合で活躍できなかったこと、負けたこと、

怪我をしてもう全力でバスケができないと思ってバスケが嫌になったことがなかったら、

今ほど、面白いバスケには絶対に出会っていません。

 

高校でめちゃくちゃ練習をしたけど目標の届かなかったから、

その後に知ることになる、NBA選手のスペーシングに凄く感動して情報発信を始めたし、

大学の引退試合でも後悔することばかりだったから、なんだかんだ辞められずバスケを続けていたら、

今、一緒に発信をしている仲間と出会えて、一生バスケを楽しんでいける面白い世界を知れています。

 

あの当時は、こんな未来になるなんて一ミリも思えませんでした。

 

情報発信をすることも、

バスケがこんなに面白いってことも、

新しい仲間や読者に沢山出会えることも、

あの頃の僕は知りませんでした。

 

あの時バスケを辞めていたとしても、

きっと、何か新しいことが生まれたはずです。

 

他のスポーツをしていたかもしれないし、

スポーツ以上に面白いことが見つかっていたかもしれません。

それはわかりません。

 

ただ、あの時、

「もうバスケはやめよう」

と思っていた時に辞めていたら、

確実に、今体験しているバスケの面白さには気づけませんでいた。

 

どちらがいいかはわかりません。

 

もしかしたら、バスケ以外のスポーツをしていた方が楽しかったかもしれない。

 

でも、それは、今はわからないですよね。

あとから振り返って、ようやくわかるものです。

 

「歴史が答えを決める」的な。

そんな言葉なかったかなぁと今、Googleで調べてみたら、

ワンピースのドフラミンゴのセリフが近いかなと思ったので載せておきます。

 

『海賊が悪!!?

海軍が正義!!?

そんなものは いくらでも 塗り替えられてきた…!!!

”平和”を知らねェが子供(ガキ)共と、

”戦争”を知れねェ子供共の価値観は違う!!!

 

頂点に立つものが善悪を塗り替える!!!

 

今 この場所こそが中立だ!!!

 

正義は勝つって!? そりゃあそうだろ

 

勝者だけが正義だ!!!!』

 

 

もちろん、正義も悪も勝利もありません。

 

ただ、ドフラミンゴが言っていることは、

「良い悪いは、自分の解釈で変わる。後から振り返った時にだけわかる」

ってことなんだと思います。

 

今、この場所こそが中立。

 

ルフィも海賊です。

普通に考えたら、ルフィが悪で、

海軍が正義です。

 

海軍は、海の治安を守ろうとしているし、

明らかに、争いを起こしているのは海賊たちです。

 

でも、ワンピースという物語においては、

ルフィが目指していることが正義であり、

ルフィは多くの人を巻き込んで人を助けたりもします。

 

あの漫画においては、ルフィが正義です。

 

でも、海軍が悪というわけでももちろんない。

悪だと思っていた海賊がルフィを助けることだってあるし、

もはや、正義とか悪とかでは分けられないものなんだと思います。

 

 

今回のコロナというものを、

どのようにとらえていくかですね。

 

コロナに限らず、何かが起きた時、

「今、この場所こそが中立だ」という

ドフラミンゴの言葉を思い出して。

 

 

 

・・・と、記事を書いてきたんですけど、

 

こんなこと言われたって、

大会が中止になったことの慰めにも何にもならないですよね。

 

そう思ったんですよ、昨日の引退試合を見て。

 

決して、良い試合だとは言えない。

後悔しか残らない引退試合だったかもしれない。

選手も指導者も、悔しさしかない試合だったかもしれない。

 

でも、その悔しさも含めて、あの場でしか体験できないものがあるんですよね。

これはスポーツをしたことがある人にしかわからないもののはずです。

 

本番にしかないあの雰囲気、

負けたら引退という緊張感、

OBや友達が応援してくれてる環境、

一本のシュートで流れが変わる繊細さ、

 

もう、あの瞬間しか味わえないんですよねほんと。

 

たとえ、ぜんぜん上手くいかなかったとしても、

たとえ、それまでの練習でチームがまとまっていなかったとしても、

最後の大会でしか感じられないものって絶対にあります。

 

 

大会がなくなってしまった学生たちが、

何か一つでも、今回のことをきっかけに

良い変化に繋がることを祈るのみです。

 

 

バスケは不要不急っていうけれど、

今すぐにできない状況なのはわかるけど、

確かに、食みたいにないと生きていけないものじゃないけど、

 

でも、やっぱりバスケがない生活はつまらないですね。

 

 

今やれることをやっていこうと思います。

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