・「パスを使え」p31

パスは長年にわたり、チームの武器になっている。私がシューターと同様にパッサーが好きなのは、誰にでも決めることができるショットをセットアップできるからだ。チームのすべての選手がパスに関わるのを見ることは気分が良いものである。

オープン選手を察知できるパッサーは、いつ、何処でスクリーンをかけるか、ピックを防ぐか、ディフェンス側に有利となるかを認識できる能力を備えている。言い換えれば視野の広い選手であり、ウィークポイントは何か、ドライブは何処か、そしてコートの何処に誰がいるかを把握できる選手である。彼はその情報に基づいてボールを移動する。彼こそが我々のチームの最大の武器となるのである。ポイントを得るには、ボールを動かさなくてはならない。我々は、ディフェンスを動かすためにパスをし、あらゆるパスが価値を持つ。あるパスはポイントを生み、他は何かのきっかけとなり、そのきっかけはパスによって生じる。パスによる攻撃は次のステップを容易にし、次のパスは更なる攻撃の手助けになる。反対に、まずいパスによって始められたオフェンスは、次のパスを困難にし、最終的にはボールを失わせるのである。

私がパスを好むもう1つの理由は、チームのモラルをはぐくむことができるからである。パスは受け取ることによってお互いの信頼感を築くことができ、ゲームでの不必要な緊張感を解きほぐすことができる。また、パスは各選手がチームの一員としてゲームを組み立てていることを自覚させる効果を持つ。

パスには必要となる2つの根本的な要素がある。1つは、パスをすることを求めて、その価値を認識することである。これは教えることが可能である。次は、オープン選手を読み取る能力である。私にはこれは教えることが不可能であった。すべての偉大な選手はこの能力に非常に長けている。

単にオープン選手を読み取る能力以上のことが関わってくる。偉大なパッサーはオープン選手を読み取った上に、パスを出した後にチームメイトがどのように対応するかをも読み取る。良いパッサーは、パス後にプレーの展開を見ているが、偉大なパッサーは、パス後の結果が明らかにチームに不利な展開になると予測すれば、そのパスを避けるであろう。さらに偉大な選手のパスは、キャッチしやすいボールでもある。このようなことを

パスほど良いチーム作りに貢献できるものは存在せず、逆に決してパスをしないシューターほどチームの雰囲気を壊すものはない。・・・

選手は、パスの正確性や創造性の価値を理解する必要がある。ゴールから18フィート[約5.49m]の距離にいるチームのベストシューターがオープンとなり、チームメイトが彼の膝元にボールをパスしたとすれば、それは良い選手とは言えない。パスの正確性が非常に重要となる。あまりに低いパスは、ミスショットを招く。パスを胸の位置へ送れば、すかさずショットが打てるのである。これはとても重要なことだ。パスされたボールをどこでキャッチするのかを軽視する偉大なコーチもいるが、私は違う。小さな積み重ねこそがチームを勝利へ導くことは言うまでもない。

パスは、近代のバスケットボールゲームが失ってしまった芸術ではないだろうか。私は、ハイスクールのバスケットボールクリニックやキャンプに呼ばれた際には、パスの価値を強調するために熱心に指導する。時に私を失望させるのは、75%ものハイスクールの選手がオープン選手にパスを送らないことである。これは、傲慢さの表れである。身動きができなくなった時だけ、パスをする選手が多すぎる。それはパスではない。