社会人バスケと「一」を生み出す力

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こんばんは、原田です。

 

僕は平日に一日だけバスケをしているんですけど、

チームメイトは地区がバラバラな事もあってほとんど平日は一緒にやらず、

いつも一人とか二人しかいないので、シューティングか1対1をしています。

 

でも、ここ最近は、中学生や高校生とバスケをしています。

 

 

中学生は、女子中学生、

高校生は、男子高校生です。

 

で、中学生たちはチームメイト(40歳)がミニバスの時に指導していた子達で、

部活が終わった後に、8人とかでシュートを打ったり試合をしに来たりします。

 

で、高校生たちは、部活終わりに来る子もいれば、

部活には入っていないけど、バスケが好きだから来る子もいて、

高校生たちとは最近、一緒に4対4とか5対5をするようになりました。

 

 

で、中学生たちはこう言うのです。

 

「部活はあまり楽しくないけど、バスケは好き」

 

顧問の先生が厳しい指導をしているという事もあって、

うまく自分たちがやりたいように自由にはできないと前に相談を受けたんですけど、

まぁそれでも監督と話すようになってきたみたいだし、

自分たちで解決策を考えて、仲間同士で話し合う事も増えたそうです。

 

で、その子達、

めちゃくちゃ楽しそうにバスケをしています。

 

いつも3対3とか4対4とかしていますが、

部活とはたぶんまったく違った雰囲気で、

休み時間のバスケをやっている感じで、キャッキャッしてます。笑

 

 

「あーーなんて楽しそうにバスケをするんだこの子達は(笑)」

って感じでこっちも笑えてきます。

 

 

で、高校生男子たちはどうかというと、

中にはこんな子もいるんですよね。

 

「自分は高校でもバスケをやりたかったけど、その部活が強すぎる(試合に出るのも練習も厳しすぎる)から部活は辞めました。でも、バスケは好きなんで、毎週ここ来てもいいですか?」

と。

 

その子は、毎回僕にマッチアップしてきます。

 

一人オールコートディフェンスをしてきます。笑

 

そして、足がつるまでディフェンスをしてくるし、

毎回、試合後には「いや、俺らが勝ちましたからね」

って生意気にも可愛くも、ニヤニヤと勝ち宣言をしてきます。

実際は負けていますが(笑)

 

 

で、最近思ったんです。

 

「社会人バスケって、こういう場所でもいいんじゃないかな?」

って。

 

 

部活動は試合に出られる人数も限られているし、

少ない大会で勝つ事を目指すため、どうしても、

勝利至上主義というか、勝ちを優先した練習や選手起用になっていくものです。

だから、とにかく厳しい練習をするなんて部活もあります。

 

それと、学校教育とかもそうですけど、

やっぱり競争の世界ではあるので、

自分に凄く良いものがあったとしても、そのチームで、そのチームメイトの中で、

それを発揮できるか、そこに価値を見出してもらえるかというのは、

運みたいなものも関係してくるだろうし、全員が全員上手く行くとは限りません。

 

 

もちろん、僕は上手くいく方法を知っています。

それを情報発信を通して広めていきます。

 

でも、監督は僕ではありません。

 

だから、そこを僕が調整する事ができないし、

僕は、その子達に今のバスケを変えていく方法とかを無理にこちらからは言わないし、

バスケットボールの技術的な事とか戦術的な事はそんなに言うことはありません。

 

「冷たいなぁ~」

と思うかもしれませんが、

僕が変に道を捻じ曲げて、バスケを楽しめなくなる方が

僕にとっては嫌だし、その子達にとっても嫌だと思います。

 

たまにアドバイスをしたりはしますけどね!

 

 

 

 

で、そういった問題点が出てくるのが今の部活動制度で、

そこに対して、社会人バスケという場所が、

「バスケの楽しさを再確認できて、居場所となる場」

の一つになる事も大切なんじゃないかなと思います。

 

 

その高校生たちは、毎回楽しそうにバスケをしています。

 

その気持ちがあった上での技術で、

やっぱり「遊ぶ」っていう感覚が何よりも大切で、

自分で自分の好きな事を楽しむ力って、

どうしても部活とかをやっていると制限されやすいです。

 

 

そこに対して、自分の無価値感を感じる

・・・なんていう学生も見た事があります。

 

 

「大丈夫だよ。バスケで、今のチームで、今の監督で、自分の価値が全て決まるわけじゃないから。まだまだ自分次第で自分の価値っていくらでも変えられるし、場所を変えたり、それこそスポーツを変えるっていうのだって一つの手だから。自分で自分を責める必要はないよ」

 

と伝えたいですね。

 

 

前、少し話しましたが、

「価値」ってのは本当に曖昧なものです。

 

テストの点数が低かったから自分に価値が無いのか?

バスケが下手だと言われたから自分に価値が無いのか?

試合に勝てなかったり目標を達成できなかったら今のバスケに価値が無いのか?

 

 

そうではありませんよね。

 

価値って言うのは、他人との比較だけで決まるものじゃありません。

 

 

僕で言えば、周りからしたら、

「何をしているかよくわからないけどバスケが好きな人」

くらいの存在なんだろうなと思います。

 

バスケの話をしていたと思えば、

全く違った事とは発信してたりするので。笑

 

 

でも、そこに対して、

「自分はバスケの技術が足りないから・・・」

「自分は実績とか残してないし、・・・」

とか考えた事はありません。

 

価値は、誰かと比較して生まれるものだけじゃなくて、

自分の過去とか自分が目指しているところと比べる事でも生まれます。

それに、「誰とも比べる必要がないオリジナルな場」

というものを作れたら、他人と比較する競争する必要すらありません。

 

 

全国大会に優勝したら価値があるのか?

テストの点数で全教科100点を取ったら価値があるのか?

 

それは、後にならないとわかりません。

 

たとえ、全国大会で優勝したとしても、

それが誰からも応援されないような勝ち方で、

誰からも拍手をもらえず、誰の記憶にも残らなかったら、

そこに価値があるとはいえませんよね。

 

テストで全教科100点取ったとしても、

誰からも応援されず、その知識を使える知識にしなかったら、

そこに価値があるとはいえませんよね。

 

 

応援してくれる人とか見てくれる人が一人もいなかったら、

それは、無人島でダイヤモンドを大切にしているようなものです。

 

見ている人、応援している人、真似したいと思える人、学びたいと思える人、

・・・そういった人の数によって価値が決まって、

その価値というのは、自分次第でコントロールできます。

 

 

自分の価値を他人との比較だけで決めない。

 

自分の価値を過去の自分と比べて、

どれくらい成長したかで決めていく。

 

 

そういった力ってこれから大切になるはずです。

どこに価値があるのかわからずに、

自分自身の中にある個性に蓋をするのではなくて、

自分で自分の道を決めていく力は、技術が発達して、

社会の仕組みが変わろうとしているときには大切になります。

 

 

って、なんの話をしているのかわからなくなってきましたが、

まぁ変に堅苦しく、これを絶対に書くぞ!って決めて書くよりも、

自然と、手の流れに従ったほうがたぶん言いたい事が伝わる気がしています。

 

なので、そのまま書きます。笑

 

 

「相手のバスケの楽しさを奪わない」

ってのも本当に大事だなと思います。

 

どこかの高校が200点差で勝利をした

みたいな話を最近目にしたのですが、

それってどうなんでしょうね。

 

 

だって、勝てば勝つほど、

「あのチームには勝てないや。バスケつまんな」

ってなる人が増えたところで、バスケ人口は減るし、

相手は、そのまま「バスケつまらないし、スポーツもつまらないな」

ってなって自分の道を塞いでしまうかもしれません。

 

それに仮にも、そうなっていけば、

自分と対戦してくれる相手がいなくなるかもしれません。

 

それって、最終的に自分が面白くないですよね。

 

 

・・・って事を昔やったことがあるんですよね。

 

「今日はとにかく1対1をして得点取りまくってやる!!」

ってギラギラ感満載でバスケをして、

必要以上に点差をつけたり、相手を倒したりして、

最終的に、その人たちはバスケを諦めてというか、

バスケから離れてしまったんですよね。

 

 

その時は、そんなに深く考えなかったですが、

「自分は相手からバスケの楽しさを奪ってしまった」

と気づいた時は、なんだか複雑な気持ちになりましたね。

 

 

自分はバスケが上手くなれたし、点数も取れた。

 

でも、対戦相手はバスケが嫌いになり、バスケを辞めてしまった。

 

 

あれ?

これで本当にいいのかな?

 

戦えば戦うほど、敵が増えて、

応援してくれる人が減っていく。

 

ん?あれあれ?

 

 

 

最近、読んでいる漫画『鋼の錬金術師』、

今更ながら読んでますが、とにかく面白いです。

 

そこでは、よくある話ですけど、

「復讐は、復讐の種を生む」

っていう物語があるんですよね。あるキャラクター。

 

 

圧倒して、格の違いを見せ付けられた相手は、

バスケが嫌いになってしまうか、ある種の復讐心が生まれて、

「次は絶対に負けないぞ!もっともっと練習を厳しくしてくぞ!!」

と勝つ目的が復讐心から来るものになると、

バスケットボールの楽しさはどんどん減っていきます。

 

それって、どうなんだろう。

 

 

勝てば勝つほど、バスケの可能性が狭まる。

 

勝った喜びは、達成感だけで、

負けたら、また同じ道の繰り返し。

それに、復讐心がエネルギー源になると、

チームの輪は深まらないし、勝つ確率は低い。

 

 

鋼の錬金術師の中で、

とっても、とっても素晴らしい言葉があります。

 

 

「一は全 全は一」

 

一とは、小さな自分の存在で、

全とは、世界とか宇宙とかそういった全体。

 

 

自分は小さな存在だけど、

全体の一部であり、全体を作っている一人。

 

小さな一が集まって世界という大きな流れが作る。

 

負の感情が集まれば、

世界は負の流れになってしまう。

 

逆に、

正の感情を集めれば、

世界を正の流れにする事もできる。

 

 

・・・これは、あるキャラクターの台詞。

 

 

これを読んだ今、こう思ったのです。

 

「あー、そうだよな。自分ができる事なんて小さな一でしかないけど、それがいつか大きな流れを作る事になるかもしれないし、勝つ事で世界を負の流れにする事もできれば、勝つ事で世界を正の流れにする事もできる。一人ひとりがこの世界を創っているんだなぁ。自分次第で、小さな流れを作り、大きな流れを変える事もできるんだな」

 

と。

 

そして、この

「一は全 全は一」

座右の銘に任命しました。

 

この言葉、めちゃくちゃ好きだ!

 

素晴らしい考え方だし、

ずっとこれからも大切にしたい。

 

 

鋼の錬金術師、

買ってから一年くらい何故か読まず、

最近になってやっと読み出したんですけど、

良かった、買って読んで。

 

 

 

 

「一は全 全は一」

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